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南アフリカ有数の都市、ヨハネスブルクは金の街?

137_南アフリカ 都市

ヨハネスブルクは南アフリカにある世界でも有数の規模をもつ南アフリカ最大の都市です。ヨハネスブルグは治安があまりよくなく危険度の高い都市として有名ですが、金とも深いかかわりがあるのはご存じでしょうか。今回はそんなヨハネスブルクについてご紹介します。

ヨハネスブルグとは

ヨハネスブルグは南アフリカ共和国最大の都市でアフリカを代表する世界都市のひとつです。人口は2019年で563万人、近郊の都市圏を含む人口は1050万人にも上る都市で南アフリカ内では第1位、アフリカ全体でみても第4位となるメガシティです。2016年に発表された「世界の都市総合力ランキング」では、世界42位と評価され、都市のGDPは1,100億ドルで、南部アフリカ第1位となっています。アフリカ最大の証券取引所であるJSEの所在地でもあり、アフリカ最高の金融センターと評価されています。

ヨハネスブルグの歴史

ヨハネスブルグが出来たのは最近?

ヨハネスブルグは上述した通り、今ではアフリカを代表する大都市ですが、歴史的にはかなり浅く、140年前には都市の名前もない人もほとんど住んでいない地域でした。つまり世界でも類を見ない程、急成長を遂げた都市といえるでしょう。この急成長の背景には金が関係しています。

ゴールドラッシュによって急成長

1886年にウィットウォーターズランド(『白水の峰』を意味するアフリカーンス語)の金鉱脈が発見され、アフリカ各地からの金を求めて移住者が増加しました。ヨハネスブルクは金の発見からわずか数年で「アフリカのラスベガス」となり、人々の住居はテントかられんが造りの建物に変わり、ほこりっぽいたまり場は盛況な市場へと変わりました。

人種差別の歴史

ヨハネスブルグと人種差別問題は避けては通れない問題です。イギリス系の白人系民族は、黒人の権利を踏みにじりつつ鉱山労働などで酷使するアパルトヘイト政策とよばれる統治を行い、アフリカ系の有色人種が白人居住区への立ち入りを厳しく制限するなど、衣食住のすべての分野で激しい差別が起こりました。1976年に至り、学生を中心としたアフリカ系住民による大規模な暴動であるソウェト蜂起が勃発し、国内外に波紋を投げかけることとなりました。この事件をひとつの契機としてアパルトヘイト政策は曲がり角を迎え、1994年に全面廃止されるまで長い期間、人種差別はつづいていました。

治安の悪い犯罪多発都市に

アパルトヘイト政策の廃止を受けて旧白人・黒人居住区間の移動制限が撤廃されたため、1990年代には職を求めて多くの有色人種が移住しました。しかし現実には彼らのほとんどは職を得ることができませんでした。これは、差別意識が残っていた事の他に、今までの環境的に識字率や計算能力などを有しているものがほとんどいなかった事も要因といえます。そのような失業者による犯罪が多発し、市内の治安が極端に悪化していくことになりました。

金の採掘量の減少

南アフリカの金の産出量のピークは1970年には年間1,000トンもの産出量を誇っていました。しかし、現在は産出量ランクが7位にまで落ち、産出量も100トン程度まで落ち込んでいます。これはコストがあまりかからなく、掘りやすい浅い地層の金を掘りつくしてしまったためで、地下深く掘るためには設備も投資しなければならず、そのために人員も確保しなければなりません。こういった理由から簡単に採掘できる夢の街ではなくなってしまいました。

まとめ

ヨハネスブルグは金の発見とともに発展し、世界でも有数の都市となっています。金による繁栄とそれに影響された影の部分についても今回の記事で少しでも知っていただければと思います。

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