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日本が黄金の国「ジパング」と呼ばれたその由来について

444_日本 黄金の国

かつて日本は、ヨーロッパにおいて「黄金の国ジパング」と呼ばれていました。なぜこのような名称で広く知られるようになったのでしょうか。その由来は、日本の歴史をたどることで明らかになります。今回は、日本が黄金の国ジパングと呼ばれるようになった由来についてお話しします。

黄金の国ジパングと呼ばれる由来とは?

ヴェネツィア共和国の商人であり、冒険家としても知られるマルコ・ポーロは「東方見聞録」を執筆しました。

その文献の中で日本は莫大な金を産出する国だと紹介されたことで、ヨーロッパを中心に「黄金の国ジパング」と広く呼ばれるようになります。

アジア諸国を旅したマルコ・ポーロでしたが、生涯日本に上陸した事実はありません。

「東方見聞録」における日本に関する描写は、ポーロが中国の商人から見聞した内容を口述したものとして記録されています。

日本に対する黄金のイメージ

それではなぜ中国は、日本に金が豊かにあると考えていたのでしょうか。

一説によると、日本が遣隋使を派遣した際に唐(中国)との交易で、大量の砂金で支払っていたことが理由だと言われています。

さらに、交易が盛んだった時代に金箔一面で覆われた中尊寺金色堂を岩手県に建立した話が中国の商人に伝わり、日本は黄金を大量に産出できるのではないかという幻想が広がっていきました。

イスラムで黄金の国を指す「ワクワク伝説」

その噂話は広州に滞在していたイスラム商人にも伝わり、のちにイスラムで黄金の国を指す「ワクワク伝説」として黄金伝説が派生しています。「ワクワク」の語源は日本の古名「倭国」に由来する説が有力です。

こうした中国やイスラム商人が持つ日本への幻想がポーロの「東方見聞録」を通じてヨーロッパ全土に広まり、「黄金の国ジパング」という呼び名が定着したと考えられています。

東方見聞録とは

『東方見聞録』は、ヴェネツィア共和国の商人で冒険家でもあったマルコ・ポーロが、1271年から24年間にわたってアジアをめぐった全行程、約15,000kmの旅の記録です。

東方見聞録が書かれた背景

マルコ・ポーロは帰国後の1295年から「クルツォラ戦争」に従軍します。ヴェネツィア共和国の兵士としてジェノヴァと戦い、捕虜となりました。

獄中で出会った著述家ルスティケロ・ダ・ピサに旅の詳細を話し、彼が口述をまとめたそうです。マルコ・ポーロもピサもイタリア人ですが、『東方見聞録』は古フランス語で書かれています。

正式タイトルは不明

また『東方見聞録』というタイトルは明治から大正にかけて日本や韓国で用いられるようになったもので、原題は不明です。

そのため国際的には『世界の記述』『驚異の書』、またマルコ・ポーロの口癖だった「100万」にもとづいて『イル・ミリオーネ』などと呼ばれています。もともとの本は散逸し、完全な形では残っていません。

出版後、多くの言語に翻訳され、手写本として世に広まっていく過程でさまざまな異本が作られ、現在では138種類の写本が確認されています。

中尊寺金色堂

「東方見聞録」で描かれた黄金の宮殿、そのモデルは岩手県平泉にある中尊寺金色堂だと言われています。

黄金宮殿のモデル

日本にある「黄金の宮殿」と聞くと、京都の金閣寺を思い浮かべる人も多いかもしれませんが、金閣寺が建立されたのは「東方見聞録」が世に出てから100年後で時代背景と合いません。

金色堂はその名の通り、天井や壁一面が総金箔貼りの豪華絢爛な造りで知られています。

豪族の奥州藤原氏が建立

金色堂のある奥州では、当時豊富な砂金が採掘されていました。豪族の奥州藤原氏は、その豊富に採れる砂金を活用して、朝廷や宋(当時の中国)に莫大な量の金を献上したと言われています。

宋との交易が続く中、奥州藤原氏が中尊寺金色堂を建立した話は海を渡って中国の商人にも伝わりました。その噂話がやがてマルコ・ポーロにも伝わり、後の「東方見聞録」に取り上げられたのは先述の通りです。

豊かな金に恵まれた平泉の栄華を反映する中尊寺金色堂の美しい姿は、1951年に国宝建造物第一号に指定。2011年には、中尊寺金色堂を含む「平泉の文化遺産」として世界文化遺産に登録されています。

まとめ

歴史を振り返ると、日本は世界の産金量が少なかった時代に大量の金を流通させていたことで黄金の国ジパングと呼ばれるようになりました。

「金」は様々なものを動かす大きな力として、日本の歴史形成の大事な一役を買ってきたのです。限りある資源である金に、世界中の人々が魅了させられるのはいつの時代も変わりません。

長い歴史の中でもその価値が比較的安定し続けていることを思うと、改めて金の価値はやはり大きいものだと分かります。それだけ価値のある金だからこそ今後もその価値は高く評価され続けることでしょう。

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