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買取大吉 買取品目 金・貴金属 金・貴金属の記事一覧 20兆円越え?!徳川埋蔵金は本当に存在する!?夢のような話がすぐそばに!

20兆円越え?!徳川埋蔵金は本当に存在する!?夢のような話がすぐそばに!

432_隠し金山

「徳川埋蔵金」は本当に実在するのか?隠し場所は「赤城山」か「あの場所」か?
「当時の貨幣単位で約400万両、現在の価値で20兆円」ともいわれており、埋蔵金の存在を信じる愛好家らによって、いまでも群馬県の赤城山麓等で探索が続けられている。現在のところ、まだ発見には至っていないが、そもそも埋蔵金は「本当に存在」するのだろうか。

江戸城から消えた?幕府御用金

大政奉還で江戸幕府が政権を朝廷に返上した翌年の慶応4(1868)年3月、官軍は東海道を下り、まさに江戸に攻め込もうとしていました。そんな中で、江戸薩摩藩邸で行われた「西郷隆盛(官軍)」と「勝海舟(旧幕府)」との交渉によって「江戸城の明け渡し」が決定され、翌4月11日、徳川慶喜の江戸退去をもって、城は官軍に接収されました。江戸城に入った官軍は、蔵の扉を次々と開け、そこから鉄砲など武器弾薬多数を発見します。
しかし、肝心の「幕府御用金」があるはずの金蔵は、もぬけの殻。必死の捜索にもかかわらず、どこを探しても金銀は見つかりませんでした。官軍は蔵番の役人25人を厳しく尋問したものの、誰ひとりそのありかを白状しなかった。
そのわずか5日後の夜のこと。「ブルガリア国旗」を掲げ、甲板を外国人船員が行き交う「ある1隻の蒸気船」が、中国の上海に向け、人知れず横浜港を出航します。実は「その船に『幕府御用金400万両』が積まれており、ひそかに江戸を脱出した」という説が存在するのです。

 

そもそも「埋蔵金」なんて本当にあるの?

今回の「徳川幕府御用金」をはじめ、その真偽はともかく、日本国内だけを見ても、いわゆる「埋蔵金伝説」は数多く存在します。代表的4つをご紹介いたします

 

【1】豊臣秀吉の埋蔵金(兵庫県川辺郡猪名川町)
豊臣秀吉は最晩年、幼い息子秀頼の将来を案じ、自らが蓄えた4億5000万両と金塊3万貫(112.5トン)を大坂城からひそかに多田銀山へ運び、坑道の奥深くに隠して閉山したといわれます。そのありかを示すとされる巻物や絵図は、数多く伝わっています。

 

【2】武田信玄の埋蔵金(山梨県南巨摩郡身延町)
武田信玄は領国内に数多くの金山を所有し、これを「棒道(ぼうみち)」と呼ばれる軍用道路の各所に隠すよう、娘婿である腹心の部下、穴山梅雪に命じました。武田家が滅んだあと、穴山梅雪は「本能寺の変」の混乱時に、一揆に襲われ命を落としますが、「このとき梅雪が所持していた書付(かきつけ)にその埋蔵場所が記されており、一揆の者たちがその幾分かを手に入れた」といわれています。

 

【3】明智光秀の埋蔵金(京都府亀岡市、滋賀県琵琶湖など)
「本能寺の変」で織田信長を倒した明智光秀は、信長の居城である安土城に蓄えられた莫大な黄金を手に入れると、この一部を朝廷や貴族、味方の諸将へと配り、さらに味方を募るつもりでした。しかし、豊臣秀吉の素早い帰還によって明智光秀は破れ、「一族の明智秀満が、これを明智光秀の居城である亀山城ほか琵琶湖などに隠した」とする言い伝えや古文書が残されています。

 

【4】帰雲城の埋蔵金(岐阜県大野郡白川村)
世界遺産で知られる岐阜県白川郷の付近に、戦国大名内ヶ島(うちがしま)氏の居城である「帰雲(かえりくも)城」がかつて存在していました。内ヶ島氏は近郊に点在する金山経営で栄華を誇っていましたが、天正13年(1586年)11月29日の深夜に、この地域をマグニチュード8.1の大地震が襲います。その際、大規模な山崩れがあり、帰雲城は城下、住民もろとも跡形なく埋没してしまいましたが、一説にはそこに「5000億~2兆円の黄金が眠っている」ともいわれています。

 

徳川埋蔵金は掘り起こしてはいけない?あの有名な歌 かごめかごめ に隠された意味とは?

すでに埋まっている場所を見つけているとしたら、徳川埋蔵金をなぜ掘らないのか?もしかしたら、掘れないような場所にあるんじゃないのだろうか。
意外なありかや事柄について解説いたします。
※あくまでも都市伝説です※

なぜ徳川埋蔵金があるのに掘らないのか。早く掘れば良いのにって思いますよね。
徳川埋蔵金はあかぎ山という山に眠っていると言われているそうです。

ですが、実はそれは嘘!昔から埋蔵金って3つの隠し場所に分けて、その内2つは嘘の情報。
そして残りの1つに本当の埋蔵金を隠していると言われています!
本当に埋蔵金が埋まっている場所は、昔から暗号化され今現在に伝わっているんです。その暗号が歌の『かごめかごめ』と言われています。
かごめと言うのは、網目のあるかご。そのかごの網目は、三角形を2つに重ねてかくのですが、
徳川家康が日本に建てた関東地区の徳川にゆかりのあるお寺を線で結ぶとかごめの目のマークになると言われています!

そして、『かごの中の鳥は』という歌詞。この鳥はお寺にある鳥居を示しているという話しです。その場所が日光東照宮と言われています。さらに『夜明けの晩に鶴と亀がすべった』と歌詞の「夜明けの晩」は朝日の事を指しています。日光東照宮には実際、鶴と亀の銅像があります。その銅像が朝日に照らされ、影が指す方向に、なんと徳川のお墓があるんです!

お墓の後ろには、ほこらがあり、かごの目のマークがあるんですが、上の三角形の部分が無い…。 ここがポイントで、上の部分がないので、下を指しているって事のようです。その下に徳川埋蔵金が眠っているという話しです。

実はこの都市伝説は続きがあり、この事はすでに国も知っている。徳川埋蔵金が眠っている場所を国が知っているのに掘り起こせないんですよ!

その訳は私の予想通り、歴史が変わってしまう可能性があるから! 徳川埋蔵金が国宝だからという理由もありますが、掘り起こすと今までの歴史を覆すような物まで出てきてしまう可能性があるから、掘り起こせないようです!
今まで教えられてきた歴史が、真実ではなかったら?みんな社会を学ぼうとしなくなるから、掘り起こさないとも言われています。

 

その他の埋蔵金は、すでに発見されたのですか?

上記の例ではまだ見つかっていませんが、近年の都市開発等の工事現場で、掘り出された甕(かめ)から偶然、「大量の金銀貨幣」が見つかってニュースになるなど、実際の発見例はいくつもあります。

信玄の隠し金山の伝承の中で、東沢にあったとされる金山が一番信憑性があるようだ。武田信玄の時代に発見されていたものを、昭和30年代にあらためて採掘していたらしい。しかし、実際には金は出なかった。

 

まとめ

いかがだったでしょうか?聞き覚えのあるあの歌「かごめかごめ」にまさかこんな繋がりが・・・と思われた方も多いのではないでしょうか?
そしてなんといっても埋蔵金、掘れば億万長者ともいわれています。なんとも夢のある話ですよね。
あくまでこの記事には、都市伝説が含まれていますので本当の真実というのも、誰も知らない・・・。
本当に最後目で夢がありますよね!ぜひお近くをご旅行などでいかれる際は立ち寄れる場所であれば立ち寄ってみてはいかがでしょうか?

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