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買取大吉 買取品目 金・貴金属 金・貴金属の記事一覧 20兆円を越えるという徳川埋蔵金は本当に存在するのか!?

20兆円を越えるという徳川埋蔵金は本当に存在するのか!?

431_隠し金山

徳川埋蔵金は当時の貨幣単位で約400万両、現在の価値で20兆円ともいわれています。埋蔵金の存在を信じ、いまでも群馬県の赤城山麓などで探索が続けられていますが、まだ発見されていません。そもそも埋蔵金は本当に存在するのでしょうか。

江戸城から消えた?幕府御用金

大政奉還で江戸幕府が政権を朝廷に返上した翌年の慶応4(1868)年3月、官軍は東海道を下り、まさに江戸に攻め込もうとしていました。

そんな中で、江戸薩摩藩邸で行われた「西郷隆盛(官軍)」と「勝海舟(旧幕府)」との交渉によって「江戸城の明け渡し」が決定されます。

翌4月11日、徳川慶喜の江戸退去をもって、城は官軍に接収されました。江戸城に入った官軍は、蔵の扉を次々と開け、そこから鉄砲など武器弾薬多数を発見します。

からっぽだった金蔵

しかし、肝心の「幕府御用金」があるはずの金蔵は、もぬけの殻でした。必死の捜索にもかかわらず、どこを探しても金銀は見つかりませんでした。

官軍は蔵番の役人25人を厳しく尋問したものの、誰ひとりそのありかを白状しなかったそうです。

そのわずか五日後の夜のこと、「ブルガリア国旗」を掲げ、甲板を外国人船員が行き交う「ある一隻の蒸気船」が、中国の上海に向け、人知れず横浜港を出航します。

実は「その船に『幕府御用金400万両』が積まれており、ひそかに江戸を脱出した」という説が存在するのです。

そもそも「埋蔵金」なんて本当にあるの?

今回の「徳川幕府御用金」をはじめ、その真偽はともかく、日本国内だけを見ても、いわゆる「埋蔵金伝説」は数多く存在します。代表的4つをご紹介しましょう。

①豊臣秀吉の埋蔵金(兵庫県川辺郡猪名川町)

豊臣秀吉は最晩年、幼い息子秀頼の将来を案じ、自らが蓄えた4億5000万両と金塊3万貫(112.5トン)を大坂城からひそかに多田銀山へ運び、坑道の奥深くに隠して閉山したといわれます。

そのありかを示すとされる巻物や絵図は、数多く伝わっています。

②武田信玄の埋蔵金(山梨県南巨摩郡身延町)

武田信玄は領国内に数多くの金山を所有し、これを「棒道(ぼうみち)」と呼ばれる軍用道路の各所に隠すよう、娘婿である腹心の部下、穴山梅雪に命じました。

武田家が滅んだあと、穴山梅雪は「本能寺の変」の混乱時に、一揆に襲われ命を落とします。

このとき梅雪が所持していた「書付(かきつけ)」にその埋蔵場所が記されており、一揆の者たちがその幾分かを手に入れたといわれています。

③明智光秀の埋蔵金(京都府亀岡市、滋賀県琵琶湖など)

「本能寺の変」で織田信長を倒した明智光秀は、信長の居城である安土城に蓄えられた莫大な黄金を手に入れると、この一部を朝廷や貴族、味方の諸将へと配り、さらに味方を募るつもりでした。

しかし、豊臣秀吉の素早い帰還によって明智光秀は破れ、「一族の明智秀満が、これを明智光秀の居城である亀山城ほか琵琶湖などに隠した」とする言い伝えや古文書が残されています。

④帰雲城の埋蔵金(岐阜県大野郡白川村)

世界遺産で知られる岐阜県白川郷の付近に、戦国大名内ヶ島(うちがしま)氏の居城である「帰雲(かえりくも)城」がかつて存在していました。

内ヶ島氏は近郊に点在する金山経営で栄華を誇っていましたが、天正13年(1586年)11月29日の深夜に、この地域をマグニチュード8.1の大地震が襲います。

その際、大規模な山崩れがあり、帰雲城は城下、住民もろとも跡形なく埋没してしまいました。

一説にはそこに「5000億~2兆円の黄金が眠っている」ともいわれています。

徳川埋蔵金は掘り起こしてはいけない?あの有名な歌「かごめかごめ」に隠された意味とは?

すでに埋まっている場所を見つけているとしたら、徳川埋蔵金をなぜ掘らないのでしょうか。もしかしたら、掘れないような場所にあるのかもしれません。

あくまで都市伝説ですが、意外なありかや事柄について解説します。

なぜ徳川埋蔵金があるのに掘らないのか

徳川埋蔵金はあかぎ山という山に眠っているといわれているそうです。ですが、実はそれは嘘だという説があります。

昔から埋蔵金は三つの隠し場所に分けて、その内二つは嘘の情報です。そして残りの一つに、本当の埋蔵金を隠しているといわれています。

童謡『かごめかごめ』に埋蔵金のヒントが隠されている

本当に埋蔵金が埋まっている場所は、昔から暗号化され今現在に伝わっています。その暗号が歌の『かごめかごめ』といわれています。

かごめとは、網目のあるかごのことです。そのかごの網目は、三角形を二つに重ねて書きます。

実は、徳川家康が建てた関東地区にある徳川家ゆかりのお寺を線で結ぶと、かごめの目のマークになるいわれています。

そして、「かごの中の鳥は」という歌詞です。この鳥はお寺にある鳥居を示し、その場所が日光東照宮だといわれているのです。「夜明けの晩に鶴と亀がすべった」の「夜明けの晩」は、朝日の事を指しています。

実際、日光東照宮には鶴と亀の銅像があります。その銅像が朝日に照らされ、影が指す方向に、なんと徳川家のお墓があるのです。

お墓の後ろには、ほこらがあり、かごの目のマークがありますが、上の三角形の部分がありません。 ここがポイントで、上の部分がないから、下を指しています。その下に徳川埋蔵金が眠っているというのです。

歴史が変わるかもしれない

実はこの都市伝説は続きがあり、この情報をすでに国把握しているにもかかわらず、徳川埋蔵金を掘り起こせないといわれています。その訳は、歴史が変わってしまう可能性があるからではないかとささやかれています。

徳川埋蔵金は国宝であり、しかも掘り起こすと今までの歴史を覆すような物まで出てきてしまう可能性があるから、掘り起こさないのではないかと推測されています。

その他の埋蔵金は、すでに発見されたのですか?

徳川埋蔵金はまだ見つかっていませんが、近年の都市開発等の工事現場で、掘り出された甕(かめ)から偶然、「大量の金銀貨幣」が見つかっています。実際の発見例はいくつもあるのです。

信玄の隠し金山の伝承の中で、東沢にあったとされる金山が一番信憑性があるのではないかといわれています。しかし、武田信玄の時代に発見されていたものを、昭和30年代にあらためて採掘したようですが、実際には金は出なかったそうです。

まとめ

いかがでしたでしょうか。聞き覚えのあるあの歌「かごめかごめ」にまさかこんな繋がりが・・・と思われた方も多いのではずです。

そしてなんといっても埋蔵金を発見できれば、億万長者になれるともいわれています。なんとも夢のある話ではないでしょうか。

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