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最初の時計

62_さ いしょ の とけい

現代人の生活に無くてはならない時計ですが、いったいどのような歴史があるのか少し説明していきます。

時計の歴史

時計の歴史は起元前4,000年までさかのぼります。当時の人々は星座をはじめ、太陽や月などの天体を観測しながら、時間、日付、季節を確認していました。時間を知るために作られた、人類最古の時計は「日時計」です。地面に垂直に立てた棒や石の柱が、太陽によって地面に落とす影の位置や長さで時刻を知りました。

ただ、日時計だと、曇りや雨の日、夜間は役に立ちません。そこで紀元前1400年頃に発明されたのが「水時計」でした。これは容器から一定速度で水が流れ出すようにし、水面の高さで時間を知るという仕組み。日本においても、671年、天智天皇の命により「漏刻(水時計)」が設置され、鐘や太鼓を打って時を知らせることを始めています。

とはいえ、水時計も水が蒸発したり、凍ってしまうと使えません。そのため、人々は工夫をこらし、様々な時計を作り出します。6世紀頃には燃える速さが安定した、ローソクやランプを用いた「燃焼時計」が登場。14世紀頃になると、「砂時計」が作られるようになります。砂時計は揺れや温度変化に強かったので、長い間、船上で時間を計る道具として使われました。

時計の小型化

時計が小型化されるきっかけは、動力に「ゼンマイ」が使われるようになったことにあります。というのも、ゼンマイは「錘に比べサイズが小さく、時計の移動や傾きに左右されにくい」「巻上げられたゼンマイのほどける力で時計を動かす」という特徴を持っているからです。

当時の携帯時計は、最小でも高さ、厚さ共に10cm程度もある振り子式で、身につけられるものではありませんでした。しかし、1695年にイギリスの時計師トーマス・トンピオン(1639年~1713年)が、置時計用に、より精度の高い「シリンダー脱進機」を考案。1727年には、トンピオンの弟子であるジョージ・グラハム(1673年~1751年)が、この仕組みを懐中時計に実用化したことで、時計の小型化、高精度化がさらに進みました。なお、トンピオンは時計の量産化を実現したために、後に「イギリス時計産業の父」と称されることになります。

続いて1754年には、グラハムを師とする時計師トーマス・マッジ(1715年~1794年)が、加工の難しかった師のシリンダー脱進機に替わる「レバー脱進機」を発明。現代の脱進機にも繋がる、レバー脱進機は大量生産を可能とし、時計工業を発展させることになります。

 

【プレゲ】

マッジの活躍から約20年後、天才時計職人が現れます。スイス人のアブラアン・ルイ・ブレゲ(1747年~1823年)で、彼はフランスで職人として学ぶ傍ら、物理学をはじめ、光学、天文学、機械工学の素養も身に着けたことで「時計界のレオナルド・ダ・ヴィンチ」と称され、革新的な発想と技術で、驚くべき時計を世に送り出しました。

 

~ブレゲの主な発明~

・ペルペチュエル:「オートマティック」と呼ばれる自動巻き機構の実用化(1780年)

・ミニッツ・リピーター用ゴング:音によって時刻を知らせる装置(1783年)

・パラシュート機構:耐衝撃吸収機構。ブレゲが貴族たちの前で、わざと時計を床に叩きつけるデモンストレーションを行ったという(1790年)。

・パーペチュアルカレンダー:日付調整が不要で、閏年まで計算してくれる機能(1795年)。

・トゥールビヨン:重力分散装置。時計にかかる重力の影響を最小限に抑え、極限まで精度を高めるための機構(1801年)

 

上記以外にもブレゲは数々の発明を行い、機構を発展させたことで、「時計の歴史を200年進めた」といわれています。ブレゲの時計は、ヨーロッパ各地の王侯貴族や富裕層、エリート階級に称賛され、あのフランス王妃マリー・アントワネットも、1783年、彼に時計を依頼しています。マリー・アントワネットはフランス革命によって命を落としましたが、時計の開発は続けられ、ブレゲの死後は弟子達が製作を受け継ぎ、1827年に完成しました。なお、「トゥールビヨン」「永久カレンダー」「ミニッツリピーター」は、機械式時計の3大複雑機構に数えられています。

腕時計

1700年代頃から使われるようになった懐中時計は、ポケットからいちいち取り出して蓋を開け、時刻を確認する必要がありましたが、王侯貴族・僧侶や上流階級の人々が日々の生活に使う限り、不便さはありませんでした。

また、19世紀の初め頃から、高貴な女性用の装身具として、ブレスレットをつけた宝飾品のような1個づくりの腕時計が存在したようで、最も古いものは、ナポレオン皇帝が1806年に、皇妃ジョセフィーヌのためにパリの時計宝飾師二トーに創らせたものであったと言われていますが、時計のサイズが小さくて視認性に劣り、精度も悪かったので、懐中時計と違って普及はしませんでした。

その後、19世紀の後半以降になると、武器や電話・通信技術の発達もあって、戦争のやり方が時刻に合わせて様々な作戦を実行する近代戦へと変わっていき、戦場では時計がより重要な役割を果たすようになります。兵士たちは、敵に隙を与えないよう迅速に時刻を確認しながら、砲撃などの作戦を間断なく実行する必要に迫られていましたが、トレンチコートの下などに入れていた懐中時計では、いざという時に出しづらい不便さがありました。

このことが,腕時計の開発・発展の契機になります。1880年頃ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世がドイツ海軍将校用にジラール・ペルゴー社に2,000個の腕時計を製作させたという記録があり、これが懐中時計を腕に巻く専用の革ベルトが付いた量産された初めての腕時計だと言われています。

この時計には、ガードのためにダイヤルの上に頑丈な網目状の金属製カバーが取り付けられていて、手首にくくりつけて時計を使ったことで、砲撃のタイミングが常に容易に測れただけでなく、懐中時計を手に持っていた時は片手しか使えなかったものが、腕に巻きつけたことにより両手で自由に戦えるようになったのです。ただし、この時計は戦場では使われず、あくまで訓練用だったようです。

その後、1899年から1902年の第二次ボーア戦争で、イギリス軍兵士たちが初めて戦場で腕時計を着けて戦ったと言われており、こうして戦争中の兵士に腕時計の便利さが認識されていきます。

クオーツ時計

1913年、日本でもセイコーが日本初の腕時計「ローレル」を発売します。当時、腕時計の存在を知っていたのは、一部の軍人に過ぎませんでしたが、セイコー創業者・服部金太郎は「日本にも腕時計の時代が来る」ことを予見。1924年以降、本格的な腕時計の量産化を図っていきます。

また、1969年には、クォーツ(水晶振動子)を用いた世界初のアナログクォーツウォッチ「アストロン」を発売。機械式より優れた精度でありながら、量産化による低コストを実現したため、今や腕時計のムーブメントとしてスタンダードとなったクォーツ時計は、腕時計を身近なものに変えたといえるでしょう。

まとめ

今では一部の腕時計は資産として人気を博しています。中古市場で見ても時計は人気であり、買取の相場は上昇傾向にあります。お持ちの時計を売却される際は高いタイミングで売りたいですね。

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