金の埋蔵量
オーストラリア、ロシア、南アフリカ、アメリカ、インドネシアの順で埋蔵量が多くなっています。人類がこれまで世界各地で採掘してきた金の採掘総量は、およそ18万トンです。採掘総量18万トンはオリンピック競技用プールおよそ3.8杯分におよびます。一方、未採掘の金の埋蔵量は、およそ5万トンと考えられています。これは、現在の年間採掘量である3,000トンを採掘し続けた場合、およそ15年後には金が枯渇してしまう計算です。しかし埋蔵量はあくまで「採掘可能な」金を指します。つまり、現代の技術力では採掘できない金や、採掘にかかるコストと採掘できる金量が釣り合っていないものは埋蔵量に含みません。例えば、海水にはかなり薄い濃度の金が眠っています。地球上すべての海水量を考えると、理論上はおよそ50億トンもの金を採掘できる計算です。現在は採掘不可能でも、将来的に技術が進歩して採掘可能となった場合、まだ眠っている膨大な量の金が採掘されるかもしれません。
日本の金山について
日本の金山といえば、佐渡金山や鴻之舞金山が有名です。佐渡金山は1601年に発見され、開発が進みました。その後、約400年もの間金を掘り続けられ、採掘された金の総量はおよそ78トンにもおよぶとされています。日本最大級の金山としていた佐渡金山ですが、鉱石の量が枯渇し1989年に閉鎖となりました。佐渡金山と同じく金産出量が多かった最大級の金山が、北海道の鴻之舞金山です。鴻之舞金山は1915年より鉱山として開発が始まり、1973年に閉鎖となるまでの金総産出量は64トンにもおよびます。最盛期には、東洋一と称されたこともあるほど、豊富な金産出量を誇っていました。しかし、残念ながらこれらの金山は、明治ごろまでに掘り尽くされて既に閉山してしまいました。現在でも稼働している金山はあるのでしょうか。日本国内では、かつて新潟県、静岡県、大分県、福島県などにも金山がありました。しかし現在は既に閉山しています。日本で金山が現存する地域は、広大な北海道や佐渡金山で名を馳せた新潟ではなく、鹿児島です。鹿児島県伊佐市の菱刈鉱山は、その産出量や金含有率から注目を集めています。
鹿児島県の菱刈鉱山
菱刈鉱山の周辺で初めて金が発見されたのは、1975年(昭和50年)頃で、2020年3月までにいたるまで、実に248.2トンもの金を算出してきました。1985年(昭和60年)には、菱刈鉱山の本格的な掘り出しが開始されます。1987年(昭和62年)から実施された郊外調査では、メインとなる鉱床以外にも、さらに西南方面に山田鉱床が発見されました。この山田鉱床については1989年(平成1年)に本格的な開発がスタートし、1990年(平成2年)にはメインとなる鉱床と坑道がつながっています。それから現在にいたるまで、菱刈鉱山は日本屈指の産出量を誇る金山として、年間約6トンもの金を算出し続けてきました。埋蔵量は2012年(平成24年)時点で150トンといわれていましたが、昨今ではさらに30トンの新たな金が発見され、32億円をかけて新たな開発が行われています。この素晴らしい産出量は、過去に活躍した日本の金山と比較しても、圧倒的なトップを誇っています。かの有名な佐渡金山の約3倍といえば、その多さがお分かりいただけるでしょう。また、菱刈鉱山の素晴らしさは、その産出量の多さのみにとどまりません。金鉱石1トン当たりの金の含有量は、世界平均が3グラム程度なのに対して、菱刈鉱山が30~40グラム程度。なんと実に10倍以上の非常に高い含有率を誇っており、その稀有な品質は現在でも世界中の人々の注目を集めています。過去には実際に、他国の地質学者が研究に訪れたこともありました。
まとめ
今も昔も貴重な資源であり、豊かさの象徴でもある金。すでに閉じられた金山や鉱山は観光できるところも多く、佐渡金山では江戸時代に手で掘られた坑道なども見学でき、鯛生金山では砂金採取の体験が行えます。日本における金山を知ることは、日本の歴史を理解する上でも有意義なことではないでしょうか。かつては黄金に溢れた国と呼ばれた日本ですが、残念ながら近年の金の産出量はごくわずかとなっています。また世界的にもその勢いは衰えています。はるか昔の時代から今も変わらない価値を持ち続けている金は、人の手で作り出すことができず、自然の恵みだからこそ、今後もさらにその価値は高まっていくかもしれません。