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ダイヤモンドを使ってのビジネスとは

ダイヤモンドを使ってのビジネスとは

ダイヤモンドと言えば、宝石の王様と言われているものです。この価値は昔からそれなりに高いわけですが、そのダイヤモンドを扱う商売も少しずつ変化してきました。では、歴史的に見てどのような流れになっているでしょうか。

紛争ダイヤモンドと呼ばれる闇取引

日本にはあまり関係ありませんが、紛争ダイヤモンドと呼ばれる問題が発生している地域もあります。一般的に、宝石の王様と言われているダイヤモンドは、個人で勝手に発掘できません。本来であれば、その国の政府が管理しているものになります。当然政府も、どのあたりで産出されるかを認識しているため、産出現場はほぼ政府の管理下にあると言っても良いでしょう。

ですが、海外のように反政府組織などがある所では、その反政府組織が管轄している地域でダイヤが産出されるケースも少なくありません。価値の高いものであるため、それを売りさばく事で反政府組織の懐も豊かになっていくわけです。反政府組織は、通常正式な政府と戦うわけですが、戦うときに必要な武器を買うお金を手に入れるためにダイヤを売却するわけです。これが紛争ダイヤモンドと呼ばれるもので世界的にも問題になっています。そして現在でも、そのような商売が横行している点を見逃すことはできません。

そもそもダイヤモンドとは?

ダイヤモンドは何からできているのか、いつ頃発見された宝石なのか、まずはダイヤモンドの由来と歴史について紐解いていきましょう。

 

・ダイヤモンドは何でできている?

ダイヤモンドは単一の原子から成る唯一の宝石で、約99.95%の炭素からできています。残りはダイヤモンドの本質と異なった原子から成る微量元素を含んでいることがあり、それがダイヤモンドの結晶フォルムに影響を与える場合も。ダイヤモンドは地下深いところ(約100マイル付近)で、炭素に莫大な高温と高圧が加えられることによって作られます。

 

・ダイヤモンドが発見されたのは紀元前

ダイヤモンドの起源は古く、最も古いものは約45億年前に見つかったものだといわれています。その後マグマの噴出によって地表近くに出てきたことで、紀元前7、8世紀頃から人々の目に触れるように。最初はただの硬い石と思われていたダイヤモンドですが、その無敵の硬さから魔除けやお守りとして使われるようになっていきました。「ダイヤモンド」という名前は、ギリシャ語で「無敵」を意味する「アダマス(adamas)」が由来です。1475年にベルギーで、ダイヤモンドをダイヤモンドで磨く方法が発明されると、その美しさが知れ渡るようになります。

 

・ダイヤモンドの取引の歴史

ダイヤモンドは、紀元前4世紀ごろから既にインドで取引されていたと推定されています。当初、その限られた資源は王族や富裕層向けのものでしたが、1400年代にはヨーロッパでファッションジュエリーとしての地位を確立していきます。1700年初期、ダイヤモンドの供給が減少しはじめると、ブラジルが重要なダイヤモンドの産地となり150年以上市場を支配していました。産地が変わる間、ダイヤモンド市場では独自の変化を遂げていきます。それまで最大の顧客であった旧支配階級は1700年代後半には減少し、フランス革命のように政治革命で富の分布は変化していきました。

 

・現在のダイヤモンド市場のはじまり

1800年代になると西ヨーロッパと米国の富裕層が増加します。そして1800年代後半にダイヤモンドの需要が拡大すると、同時期に探検家が南アフリカで初めて巨大なダイヤモンド鉱床を発掘。これが現在のダイヤモンド市場のはじまりです。1900年頃には、南アフリカの鉱山が世界のダイヤモンド原石生産量の約90パーセントを支配するようになります。ところが南アフリカでは、ダイヤモンドの採掘が地表から遠い深い地下へと移動したため産出量が少なくなり、巨大なコストがかかるように。効率の良い場所での採掘を余儀なくされます。

 

しかしこれにより、カッティングやポリッシュの技術が進歩していきます。その結果、効率が良くなりコストも削減。これがダイヤモンドの外観の向上につながり、新しい需要を作ります。現在はロシア、ボツワナ、オーストラリアなど、世界さまざまな国や地域でダイヤモンド採掘が行われています。

ダイヤモンド産業を大切にしてきたのはユダヤ人?

現在、「もっとも高価な宝石」と呼んでもいいダイヤモンドですが、ずっと昔はそうではありませんでした。というのも、ダイヤモンドは研磨やカットという技術がなければあの輝きは生まれません。大昔、ダイヤモンドの産出地はインドだけで、そこからヨーロッパに持ち込まれたので希少なものでしたが、高価な宝石というよりも、硬くて正八面体の、神秘的な石というものでした。ルビーやエメラルドのほうがはるかに価値があるとされていたのです。

ダイヤモンドは原石のままでは、その魅力の半分も発揮しない石なのです。ダイヤモンドの研磨やカットの技術が発達し、「高価な宝石」という地位が与えられたのは、それよりあとです。正確な記録は残っていませんが、14世紀にはその技術が確立していたようです。現代においてダイヤモンドの集積地とされる都市は、世界に何カ所かあります。主要なところを挙げれば、ベルギー、ニューヨーク、イスラエル、インド、イタリア、フランスなどです。

こうした場所でのダイヤモンド産業の確立に深く関わったのは、セファルディムと呼ばれるイベリア半島系のユダヤ人でした。彼らはスペインやポルトガルから追放されてしまい、他国に移り住むことを余儀なくされました。世界各地に散らばったセファルディムは国際的なダイヤモンド貿易のネットワークの形成に成功したのです。

苦難の歴史

セファルディムについて説明する際に、イベリア半島の歴史を避けて通ることはできません。現在、イベリア半島の大部分を占めているスペインは現代ではカトリックの国ですが、イベリア半島は長い間、イスラーム勢力に支配されていた時代がありました。

イベリア半島に最初にイスラーム勢力が進行したのは、8世紀のことでした。711年、ウマイヤ朝が北アフリカからイベリア半島に攻め込み、この地を支配していたカトリックの国である西ゴート王国を破ります。一時期はイベリア半島のほとんどがイスラームの支配下に入ります。西ゴート王国の貴族がイベリア半島北部で718年に建国したアストゥリアス王国だけがキリスト教圏として残されました。

ダイヤモンドカッターがパレスチナに移動

第二次世界大戦がはじまる頃、ベルギーのアントウェルペン(アントワープ)は、ダイヤモンドのカッティングの中心地でした。ダイヤモンド市場を牛耳っていたデビアス社は、世界最先端の技術を誇るアントウェルペンのカッティング工場に、同社のダイヤモンドのほとんどを供給していました。ところが、戦争によってアントウェルペンが機能しなくなりました。アントウェルペンのダイヤモンドカッターの多くはユダヤ人でした。彼らは、紆余曲折を経て、パレスチナに移住したのです。

ここで大きな役割を果たしたのは、パレスチナのナターニャという都市の市長であったオヴェド・ベンアミという人物です。彼は、たまたまアントウェルペンから来た2人のユダヤ人に会いました。オヴェド・ベンアミは彼らとの話からヒントを得て、まだ何の産業もなかったナターニャに、ダイヤモンド産業を確立しようと考えました。

まとめ

ダイヤモンドは、現在でこそ一般庶民でも手に入れることができる金額になっていますが、昔は王侯貴族しか手に入れることができませんでした。そのため、商売する人も一般庶民に販売する事はなくほぼ王侯貴族を相手にしていました。第二次世界大戦が終わると、次第に庶民もこれを手にすることができるようになりました。当然ビジネスの方でも一般庶民に販売することの方が多くなっていくわけです。日本でも、婚約指輪や結婚指輪に埋め込まれているダイヤモンドに憧れる人は少なくありません。

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