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ヴァージル・アブローとオフ・ホワイトの軌跡

1961_ヴァージルアブロー

「ストリートウェアは、安っぽく見られている。私が目指してきたのは、そこに知的なレイヤーを加えて、信頼できるものにすることです。」これは、2021年11月28日に41歳の若さで亡くなったデザイナー、ヴァージル・アブロー氏が生前のインタビューで放った言葉であり、彼はこの言葉通り、ストリートウェアとラグジュアリーの垣根を壊し、ストリートブランドの新たな地位を確立しました。オフ・ホワイトは、2013年頃突然人気に火がついたブランドです。今までにはなかったストリートラグジュアリーという新しい分野で成功したブランドとして知られています。
オフ・ホワイト以前にも、数々の人気ブランドに携わり人気を博していたヴァージル・アブローの新ブランドということで、オフ・ホワイトの注目度も高く2014年に世界に先がけてフランスで発売が開始されます。日本では、セレクトショップなどでの取り扱いはありましたが、路面店として南青山に上陸したのは2016年になります。爆発的な人気を誇っているオフ・ホワイト。もはやその人気は留まることを知りません。そんなオフ・ホワイトのデザイナー、ヴァージル・アブローとはどんな人物なのでしょうか。今回は、ファッションに変革をもたらしたデザイナー、ヴァージル・アブロー、彼の魅力をお伝えいたします。

ヴァージル・アブローが歩んできた歴史

オフ・ホワイトのデザイナーはヴァージル・アブローという人物でアメリカ、シカゴ生まれの黒人男性です。1981年にシカゴ郊外のイリノイ州ロックフォードで生まれます。塗料会社を経営する父と洋服作りが趣味の母の元で育ちました。幼いころヴァージルは母親のハンドメイドの服ばかり着ていたとインタビューで話しています。10代の頃ヴァージルは、マイケルジョーダンやガンズアンドローゼス、スケートボート等の所謂90年代ユースカルチャーに夢中だったそうです。「10代の頃に夢中になったものが今の自分を形成している」とインタビューでも答えていました。世界のファッション業界で最も注目されている人物だと言われていましたが、昨年11月に癌のため41歳という若さで急逝されました。

2018年にはルイ・ヴィトンのメンズ・アーティスティックディレクターに就任。ルイ・ヴィトン初の黒人デザイナーとしても注目を集めました。ヴァージル・アブローのジェンダーレスな考え方はファッション業界に多大な影響を与えたとされています。男性ものとして認識されることが当たり前だったストリートウェアで、あえてウェメンズラインを落とし込んだ発想は、ファッションがジェンダーレスな時代に突入したことを象徴する出来事として業界に影響を与えています。

ヴァージル・アブローはルイ・ヴィトンのメンズ・アーティスティックディレクターに就任した際のインビューでこのようなことを表明しています。「自分がいくら忙しくなろうとも、想像を超える重圧があろうともOFF-WHITEは継続する」この言葉の通り、設立当初からデザイナーはヴァージル・アブローただ一人しかいませんでした。また、従来のラグジュアリーブランドでは兼任でブランドデザインを請け負う人はかなり希少とされています。

つまり、ヴァージル・アブローは世界的有名ブランドであるルイ・ヴィトンと自身が手掛けるオフ・ホワイト、二つのブランドデザインを兼任していた歴史的人物とも言えるでしょう。ヴァージル・アブローの死後、デザイナー不在となることでさまざまな噂が囁かれましたが、親会社であるニューガーズグループが今後計画を発表しています。曰く“無限のアイデア”が残されていると言い、今後もそれらを製品化していくとともに、特定の後任デザイナーを設ける予定は無いとしています。急成長を遂げたオフ・ホワイトの今後にも目が離せませんね。

Pyrex Vision から OFF-WHITE へ

ヴァージル・アブローの伝説は、OFF-WHITEの前進となる最初のファッションブランドPyrex Vision(パイレックス・ヴィジョン)にて始まりました。元々、2012年に動画プロジェクトとして始動したPyrex Visionは、そのハイエンドなルックスが話題を集め、パリのセレクトショップColetteなどで取り扱いが始まったことで本格的にブランドとしてスタートを切りました。

フロントプリントには、カラヴァッジョの絵画をプリントし、バックプリントに伝説的NBAプレイヤーであるマイケルジョーダンと同じ「23」のナンバリングが施されたデザインが特徴です。当時、ASAP Rocky、Kanye WestといったラッパーたちがMVやライブで着ていたことでこのブランドを知った方も多いのではないでしょうか。そのパイレックスの特徴を受け継ぎ、2014年春夏に限定ショップのみで”Off-White c/o Virgil Abloh”がデビューします。

 

●元は建築科出身

世界的なファッションデザイナーであるヴァージル・アブロー。実は、専門学校などでファッションを学んできたわけではありません。ヴァージル・アブローはウィスコンシン大学マディソン校で土木工学を学び、イリノイ工科大学に進学。近代建築三大巨匠の一人とされているルートヴィヒ・ファン・デル・ローエによって設立されたカリキュラムで建築学修士号を取得しています。そして、デザイナーとして活躍する前は建築事務所で働いていたのです。ヴァージル・アブローのファンにとってはあまりにも有名なエピソードですが、ご存知ない方は驚かれたのではないでしょうか?

 

●カニエ・ウェストとの出会い

ヴァージル・アブローはその後インターン時代にLVMHグループであるFENDI(フェンディ)で働いていましたが、その時期、後に世界一のラッパーとも言われるようになったカニエ・ウェストと知り合います。この時点ですでにルイ・ヴィトンの会長はヴァージル・アブローの才能や成長に期待していたともいわれていますが、ここでカニエ・ウェストと出会ったきっかけがヴァージル・アブローの大きな転機となります。

インターンの時にヴァージル・アブローの建築学科で培った類稀なるファッションセンスに感銘を受けていたカニエ・ウェストは、2002年、自身のツアーでのクリエイティブディレクターとして、ヴァージル・アブローにアパレルグッズやステージ設計、アルバムのカバー(表紙)のデザインを依頼しました。

※カニエ・ウェストとジェイJ共同制作アルバムの『Watch the Throne』のアートディレクションも彼が担当しました。

ここからヴァージル・アブローはファッション界でのキャリアをスタートし、またヴァージル自身もファッションアイコンとして注目を集めました。その後、カニエ・ウェストの右腕とし2012年にカニエ・ウェストがクリエイティブエージェンシーとしてスタートさせた“DONDA”のクリエイティブディレクターとして抜擢されました。また同時期にシカゴにて“RSVP Gallery”をOPENさせました。カニエ・ウェストに見出された頃から、既に自身のブランドを立ち上げることを考えていたともいわれています。

 

●コレットバイヤーに認められたパイレックス・ヴィジョン

2012年にオフ・ホワイトの前身とも称される、PYREX VISION(パイレックス・ヴィジョン)をスタート。ヴァージル・アブローの名が実に世界に広まったきっかけとなったとされるのがパイレックス・ヴィジョンになります。パイレックスヴィジョン・はアパレルブランドではなく、あくまでアートプロジェクトでした。このパイレックス・ヴィジョンですが、もともとはミュージックビデオで、その中でラルフローレンの古着などにOFF-WHITEとのデザインの前身ともなるバックに大きくプリントしている衣類が登場しました。

YouTubeを使ったイメージヴィジュアルで使用されていた、パイレックス・ヴィジョンのワードローブに興味持った人物が、パリの老舗セレクトショップ、コレットのバイヤーである、サラ・アンデルマン。サラ・アンデルマンの熱烈なラブコールを受け、パイレックス・ヴィジョンはファッションブランドとして歩み始めます。

老舗セレクトショップのコレット等で取り扱いが開始したことで、パイレックス・ヴィジョンはヤングファッショニスタを中心に爆発的な流行を巻き起こしたことで、ヴァージル・アブローの肩書は“カニエ・ウェストの右腕”から、“パイレックス・ヴィジョンのデザイナー”へと変わっていきます。ヴァージル・アブローはサラ・アンデルマンの目に留まったことがきっかけで一躍有名になったと言われています。

 

●オフ・ホワイト誕生

パイレックス・ヴィジョンによってアパレル業界で一世風靡したヴァージル・アブローはその流れのまま、2014年の春にオフ・ホワイトをスタートさせました。パイレックス・ヴィジョンのデザイナーが立ち上げた新ブランドとして既に高い注目を集めていました。2014年春夏にパリコレデビューを飾ると人気は爆発。ラグジュアリーストリートをテーマにスタートさせたオフ・ホワイトは瞬く間に噂が広がり、イタリア製にこだわったアイテムは世界でも有名セレクトショップの極一部でしか取り扱われず、発売するや否やすぐに完売となりました。

コレットや、マックスフィールド、バーニーズニューヨーク等のハイエンドなショップ限定で展開された事も関係し、入手困難なブランドとして熱狂的なフォロワーを生み出します。

 

●オフ・ホワイトの特徴

オフ・ホワイトのデザインは、そのブランド名オフ・ホワイトの“White”のロゴを随所に散りばめています。決してロゴに終わらず、デザインのひとつとなるように表現のバリエーションには工夫が凝らされて表現されています。そのデザインは様々なものからインスピレーションを受けて作られています。建築からインスパイアされた力強いグラフィカルなデザインもそのひとつです。太めのストライプを斜めに配置することで、平凡には終わらない力強いデザインとなっています。ストライプ配色も白黒のものが定番とされていますが、時には迷彩柄に赤など大胆な組み合わせもあり、ストライプの太さのバリエーションも豊富です。

また、オフ・ホワイトがラグジュアリーなストリート系ファッションと言われる所以は、その素材の上質さにあります。イタリア製の素材にこだわり、特にTシャツやスウェットなどのシンプルなものでその素材の良さがより際立っています。洋服だけではなく、クロスボディバッグ、バックパック、トートバッグなどの小物類、エスパドリーユなどのシューズとトータルでコーディネートできるようにその幅を広げています。

オフ・ホワイトの製品は、フランスはコレット、アメリカはマックスフィールドやバーニーズニューヨークなどの限られたセレクトショップのみでの扱いです。日本には南青山に旗艦店があるので、オフ・ホワイトの世界観をトータルで感じることができます。旗艦店があることからも、日本での人気の高さがうかがえるように、ラグジュアリーなストリートファッションとして他ブランドとは一線を画しているオフ・ホワイトは愛好者も多いです。他社とのコラボレーションアイテムも次々と発表しており、オフ・ホワイトを通してヴァージル・アブローの多才な魅力を今も発信し続けています。

ヴァージルが作り上げる独創的デザイン

●一目でわかるオフ・ホワイトのデザイン

オフ・ホワイトのデザインの多くは特徴的なもので一目でオフ・ホワイトとわかるデザインが多くあります。それは大きなロゴの文字、そしてナンバリング文化です。2015年以前までは大きなロゴが入っているデザインはその当時の流行ではありませんでしたがオフ・ホワイトの大きなロゴが入ったデザインが発売されるや、たちまち様々なブランドからビッグロゴやナンバリングのアイテムの発売が目立ちました。

そのデザインのパイオニア的存在がオフ・ホワイトなのです。また、ジェンダーレスや人種差別への抗議など、様々な“壁”を取り払っていく姿勢も、ヴァージル・アブローが世界で注目された要因として大きいでしょう。

 

●黒人初のルイ・ヴィトンのデザイナーにも抜擢

ヴァージル・アブローのデザイン性に関してフェンディのインターン時代の会長、マイケル・バーク(現ルイ・ヴィトン会長)は当時から注目していて、才能が徐々に開花している様子に興味をもっていたとコメントしています。

マイケル・バークはヴァージル・アブローのデザイン性や才能を高く評価しており、前ルイ・ヴィトンのデザイナー、キム・ジョーンズの退任により顧客離れがささやかれていたルイ・ヴィトンですが、ここでヴァージル・アブローに白羽の矢が立ったのです。結果として、新たに若年層の顧客獲得や初のメンズジュエリー発売といった大成功を収めました。

 

●家具業界にも参入!

フランス・パリにて初のポップアップストア“Still Loading”をオープンした“IKEA(イケア)”とヴァージル・アブローによるコラボプロジェクトでは、4種類のラグマットを発売しました。アパレルだけではなく世界最大級の家具量販店“IKEA”とコラボレーションも実現させたヴァージル・アブローですが、以外にもIKEAとのコラボはヴァージルアブロー自身が電話営業して実現したそうです。建築出身ならではのヴァージル・アブローにしか実現できないコラボといえるでしょう。

ヴァージル・アブローがファッション業界に及ぼした影響

ヴァージル・アブローはファッション業界に、今までに無かった数々の影響を与えました。

 

・ラグジュアリーストリートという新しいジャンルをつくったたこと

・ヴァージル(デザイナー)自身がファッションアイコンになったこと

・ブランドのコラボレーションをより定番にさせたこと

・各国の有名なファッショニスタたちを虜にしたこと

・ラグジュアリーストリートというジャンルの開拓

 

ヴァージル・アブローはラグジュアリーストリートを広めた第一人者ともいわれており、ラグジュアリーストリートといえばオフ・ホワイトが、一番に名前が上がると思います。ラグジュアリーストリートとは、“ラグジュアリーなストリートストリートスタイル”の事を指します。

ラグジュアリーブランドからリリースされる、カジュアルウェアを用いたスタイルがラグジュアリーストリートの代表的なルックです。グッチ、ルイ・ヴィトン、バレンシアガ、ジバンシィ、ヴァレンティノ、バルマン等がラグジュアリーストリートを打ち出し、見事ヤングセレブリティを獲得したラグジュアリーブランドの代表格です。

そもそもラグジュアリーストリートは上質な生地や素材を用いたラグジュアリーなハイブランドのアイテムとどこかチープなストリートブランドのMIXし組み合わせているスタイルで、近年一番流行っているスタイルとされるモノトーンをベースにしたオーバーサイズのカットソーやフーディーにスキニーパンツといったスタイルが挙げられます。ラグジュアリーブランドからリリースされているアイテムを、ストリートアイテムと組み合わせる着こなしも、ラグジュアリーストリートの定番となっています。

 

●デザイナー自身がファッションアイコンに

流行の最先端を生み出したヴァージル・アブローのセンスはデザイナーでは非常に珍しいファッションアイコンとして多くの人から支持されていました。ヴァージル・アブローのインスタグラムは自身が携わっているブランド以外のものも度々紹介しており、世界的な有名アーティストや有名ファッションデザイナーのプライベート写真もしばしば登場していました。

デザイナー自身がファッションアイコンとして注目されることは稀なので、そういった部分も彼の名が急速に広まった要因といえるでしょう。また、製作途中のものも度々ストーリー等にも紹介され注目を集めており、デザイナーの中では恐らく世界トップクラスのフォロワーが付いていたのではないでしょうか。

 

●トレンドはヴァージルから、とも言われたほど

デザイナーであるヴァージル・アブローですが、ファッションの参考にしている著名人として頻繁に名前が上がるほど、ヴァージル・アブローのプライベートファッションは世の中で注目されるようになりました。岡山県発祥の“キャピタル”はヴァージル・アブローをきっかけに世界で活躍するラッパーなどもこぞって着用したことで、一時は定価の2倍以上で取引されていました。

 

●ハイエンドなコラボを次々に打ち出した

ヴァージル・アブローは自身が様々なブランド品を好んで着用することでも知られており、そういったブランドと幾度となくコラボレーションを実現していきました。そのコラボレーションの数々は社会現象を起こし、世の中に多くの衝撃を与えました。

 

【Off-White c/o Virgil Abloh™️(オフ・ホワイト)×NIKE(ナイキ)】

ヴァージル・アブローが手掛けるコラボレーションの中でも、特に人気があるのはナイキのコラボレーションです。発売初期は“THE TEN(ザ テン)”という名前で10型のスニーカーを発売。発売日には多くのスニーカーファンが発売店舗に長蛇の列を作りました。NIKEとのコラボレーションは2017年からスタート。

このコレクションは主に既存のJORDAN1やAIRMAX90といった様々なモデルを再構築やレタリングによってリデザインしたもので、下火になっていたスニーカーブームを再び巻き起こしたと言われています。発売日が決まると瞬く間に販売先には行列ができ世の中に衝撃を与え、人気のモデルはすぐに定価の10倍以上まで膨れ上がり高騰具合でも衝撃を与えました。オフ・ホワイトといえば、結束バンドのタグを使用していることで有名ですがタグを大胆にスニーカーに付けていることも特徴です。

さらには、クロムハーツ、リーバイス、モンクレール、フラグメントデザイン、アンブッシュ、リモワ、エビアン、バスキア、アンダーカバーなど数多くのブランドやアーティストとコラボレーションしています。どのコラボアイテムも争奪戦となり、今でも高いプレミア価格で取引されています。

 

●バズメーカー!各国の最大級の影響力あるインフルエンサーを虜に!

ヴァージル・アブローは俗にいう“バズメーカー”とも呼ばれていました。ヴァージル・アブローのスタイルや製作したものは、様々な業界人にも大きな影響をもたらしています。オフ・ホワイトを着用する有名人は、世界各国におり、日本でも有名人が着用したことで火がつきました。海外では、ジャスティン・ビーバー(Justin Bieber)やG-DRAGONが愛用者として知られており、たびたびメディアなどで目にします。ジャスティン・ビーバーはトップスで取り入れることが多く、オフ・ホワイトの代表的なアイテムであるパーカーや迷彩柄のジャケットなどをよく着用しています。

日本での火付け役は、三代目J Soul Brothersの登坂広臣です。雑誌の取材や自身のインスタグラムなどで着用しているのが目にとまり、日本でも多くの人がオフ・ホワイトの魅力にはまってしまうことになります。登坂広臣の写真を見るとオフ・ホワイトの特徴である、白黒の縞模様やホワイトの文字をよく目にします。他にも同じ三代目J Soul Brothersのメンバーでは、岩田剛典、SHOKICHI、白濱亜嵐、関口メンディーがオフ・ホワイトの愛用者です。モノトーンを基調とした色合いに、ところどころWHITEの文字が刻まれているのがこのブランドの特徴になっています。

また、オフ・ホワイトは男性だけでなく女性にも愛用されています。日本ではモデルでタレントのローラや秋元梢なども愛用者です。ローラは自身のインスタグラムで、オフ・ホワイトのオーバーサイズのTシャツを着用していました。また秋元梢は、レザーのジャケットを着用し、デザイナーのヴァージル・アブローと一緒にとった画像をツイッターでアップしていました。少しハードでメンズライクなテイストを好み、ストリートラグジュアリーな雰囲気な女性が、主にプライベートなどで取り入れています。

カニエ・ウェストとの友情

ヴァージル・アブローを語る上で欠かせないのがカニエ・ウェストの存在でしょう。大学卒業後、建築関係の会社に就いたヴァージル・アブローは、同じくシカゴ出身のラッパーであるカニエ・ウェストとFENDIのインターンにて出会います。ヴァージル・アブローのセンスに確信を持ったカニエ・ウェストは、ツアーのマーチや衣装などのデザインをヴァージル・アブローに任せました。カニエ・ウェストの横にはいつもヴァージル・アブローがいると言われたほど、カニエ・ウェストはヴァージル・アブローに絶大な信頼を寄せていたのです。

そして、OFF-WHITEで大成功を収めたヴァージル・アブローは2018年にルイ・ヴィトンのメンズウェアデザイナーに抜擢され、最初のコレクションのショーには勿論、カニエ・ウェストが同席しました。ショーが無事終了すると、ヴァージル・アブローは真っ先にカニエ・ウェストの元へ行き、二人は抱擁を交わしました。

ヒップホップに愛されたヴァージル・アブロー

ヒップホップを愛したヴァージル・アブローは、ヒップホップに愛されていました。ラッパーでありプロデューサーでもあるファレル・ウィリアムスは、ヴァージル・アブローを「創造的な天才」と呼び、タイラー・ザ・クリエイターは「みんなのチアリーダー」と称し、「ドアを開け、人々を中に導き、次の人が持てるように鍵を外に投げた」としてヴァージル・アブローを讃えました。

ヴァージルの死の前後に世界中から語られた優しい言葉は、ヴァージル・アブローが多くのアーティストたちに愛される偉大なデザイナーであったことを物語っています。

『You can do it too.(君にもできるよ)』これは、ルイ・ヴィトンのコレクションを終えヴァージルが残した言葉です。彼の生き様は、ファッション業界だけでなく今を生きるすべての人たちに影響を与え続けています。

まとめ

オフ・ホワイトとルイ・ヴィトンのデザイナーとして活躍した、ファッション界のインフルエンサーであるヴァージル・アブロー。ヴァージル・アブローが現在のファッション界のキーマンであったことは確実です。数年間、癌と闘いながらもファッション界を大きく揺るがしていったヴァージル・アブロー。そんな彼についてまとめました。興味を持たれた方は、是非一度、実際に手に取ってオフ・ワイト製品に触れてみてください。

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