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買取大吉 買取品目 服の記事一覧 バイカーアクセサリーブランド『goro’s(ゴローズ)』

バイカーアクセサリーブランド『goro’s(ゴローズ)』

933_バイカー アクセサリー

知る人ぞ知るアクセサリーブランドのゴローズは、日本のインディアンジュエリーの第一人者ともいわれる高橋吾郎氏が設立したアクセサリーブランドです。今回は、そのゴローズの魅力についてご紹介します。

デザイナー高橋吾郎

高橋吾郎氏は、幼少期よりインディアンに強い憧れを抱いていました。その思いは当時、遊びの定番であったカウボーイごっこでも進んで敵役のインディアンを演じて遊んでいた程だそうです。そのころから手先を使うモノづくりが大好きで、鉄くずを集めてはお金に換え、材料を買い、工作に没頭していたようです。

吾郎氏が中学生になるころ、運命の出会いが待ち構えていたのです。臨海学校に参加した時のこと、寮近くの民家からトンカチの音が聞こえ、好奇心旺盛な吾郎氏は音に吸い寄せられるようにその家へ向かいました。そこで出会ったのはレザークラフトでモノづくりをしているアメリカ人の進駐兵でした。この出会いをきっかけに臨海学校の期間中、毎日進駐兵のもとへ通い、レザークラフトを教わりました。

林間学校の期間が終わってからも、進駐兵がアメリカへ帰国するまで教わり続けたそうです。中学を卒業した吾郎氏は、進駐兵から譲り受けた細工技術、道具を用いて商売を始めました。当時はカービングベルト、レザーウォレット、レザーバッグ、真鍮を用いたバックル等をメインに制作、販売を行っていたようです。独学で技術を磨いた吾郎氏は27歳になった1966年、青山に工房を構えました。とにかく何でも作ってしまう吾郎氏はジャケットやパンツ、自動車のシート、ソファなど、革細工の枠にとらわれない幅広い制作を行っていたようです。

その後、渡米し本格的にインディアンからシルバーアクサセリーの彫刻を学ぶことになります。​吾郎氏が自身で作ったレザー製品を身に着け、アリゾナを訪れた際、「その身に着けているものはどこで買うことができるか。」と突然男性から話しかけられたことがきっかけとなったようです。その男性は友人となり、現地のネイティブ・アメリカンのラコタ族が行う芸術のような銀細工の手法や加工方法を教わりました。

この出来事が吾郎氏のインディアンジュエリーとの出会い、そしてシルバーアクセサリーを作る人生の始まりになります。その出会いがきっかけとなり、ラコタ族と出会い、インディアンの重要な儀式であるスウェットロッジという儀式を受けることとなります。スウェットロッジの2年後、35歳になった吾郎氏は多くの人が挫折し非常に難しく厳しい試練ともいわれている“サンダンスの試練”を受けることになるのですが、サンダンスとは、4日間食べ物、飲み物を一切口にすることを禁止され、眠ることも許されず、更にはドラムの音と一緒に大地を踏み鳴らし木の周りを回り続ける試練のことです。

その際、意識を失いそうになった吾郎氏の目には本物のイーグルが飛び込んできたのだそうです。またそのイーグルとしっかり目が合ったと言われています。4日目の最終日にはピアッシングというものがあり胸の肉をつまんで引っ張ってもらい、そこにイーグルの爪や串を皮膚に通しマッスルの力(引きちぎる)でこれを外します。

これらのラコタ族の重要儀式をやり遂げた高橋吾郎氏はメディスンマンといわれるインディアンの指導者に当時日本人初となる『イエローイーグル』(イエローは昇る太陽、また東から来た鷲という意味合い)というインディアンネームを授かります。貴重な経験を終えた吾郎氏はアメリカから帰国後の1971年に青山からファッションの聖地ともいわれる原宿に拠点を移し現在に至ります。

ゴローズを買うには

ゴローズを購入しに本店へ足を運んでも、通常のショップと同じように商品を購入することができません。それは一組入店するごとに規制をかけ、順番に接客をしていたオープン当初の文化が今でも残っているためです。真っ直ぐでピュアな心を持った吾郎氏の性格や思いとは裏腹に、店内では万引き被害が後を絶ちませんでした。そこで吾郎氏は商品一つ一つに釣り糸を取り付け、ショーケースに縛るなどの対策も行いましたが一向に被害が収まることは無かったそうです。

そこで一組ずつ入店に制限をかけ、順番に接客するようになったのです。その時の文化が今も残っておりゴローズでの商品購入は入店制限があり並んで順番で店内に入れるようになっています。しかし、並んだからと言って必ず買えるわけではありません。まず並んだ全員が入れるわけではなく抽選をうけます。雨の日は並びが少ないそうなのでオススメです。そして抽選に受かるとゴローズの店員の審査が入り入店できるか決まります。

他のブランドアクセサリーをしていると入店出来ない等、ゴローズへの愛が試されます。入店後、店内には沢山の商品が陳列されていますが、値札がついている商品しか購入することが出来ません。良番を引かないと人気なアクセサリーは手に入れる事が出来ません。狭き門ですね。

ゴローズを買うために必要なもの

ここでは並びの当日に困らない為に、並びの際に必要だと感じたアイテムをご紹介します。

 

①顔写真付き身分証 これが無いと抽選も参加不可!

抽選に参加する為には顔写真付きの身分証が必須です。保険証等の顔写真の無い物ではNGで必ず顔写真のある身分証の提示を求められます。身分証が提示できなければその時点で並びから外されてしまいます。必ず持参するようにしましょう。

 

②現金 クレジットカードは一切使用できない

ゴローズではクレジットカード等は一切使用が出来ません。現金のみでの購入となります。抽選を突破して入店出来、万が一欲しいアイテムがあった場合に現金が足りなくて商品が買えないという様なことが無い様に多めに現金を持って行きましょう。

 

③モバイルバッテリー 長い待ち時間に頼るべきはスマホ!

抽選前、抽選後の長い並び時間に頼れるスマートフォン、何時間も時間がかかる為、モバイルバッテリーを持参することをお勧めします。

 

④携帯型クッション ガードレールは冷たいし固い

長時間ガードレール等に腰掛けているとお尻がとても痛くなります。そんな時に携帯できるクッションがあるだけで大分楽に座ることが出来ます。

 

⑤折りたたみ傘 並びの際に屋根はありません

ゴローズは入店まで外で並ぶことになります。当日雨ならば傘を持っていくと思いますが、晴れていても万が一の事を考えて折りたたみ傘を鞄に入れていくことをお勧めします。鞄に入っていても折り畳み傘であればそこまでかさばらず、荷物にもなりません。

ゴローズの転売対策

残念ながら並んでいる方の中には、中古価格の高騰から転売目的で並ぶ人も多く見られます。ゴローズ側も転売目的の方の商品購入を防止する為、様々な転売対策を行っています。ここではゴローズで行われている転売対策についてお話します。ゴローズへ並ぶ際の服装も転売屋か否かを判断する基準とされています。購入しても自分で身に着けそうにない服装は、転売目的と判断され抽選の番号が本来入店できる番号であってもその時点で弾かれる事があります。

では具体的にどういう服装をがその可能性を低くすることができるのか、基本的にはアメカジの服装で並ぶことをお勧めします。実際に並んでいる方の服装もゴローズのアクセサリーが似合うアメカジの方が多く見られます。さらにはスタッフによる質疑応答があります。質疑応答と言っても、基本的には客側とのコミュニケーションを図る為にされる会話の一環です。しかしながらこの会話も転売目的かどうか精査するという意図もあると考えられています。主にスタッフから話しかけられるタイミングは「並んでいる最中」と「入店後の店内」となります。

まず並んでいる最中ですが、会話の内容はアイテムに関すること、ゴローズに関係の無い雑談のような内容と様々ですが、一般的に新規客と思われる客に多い質問とされるのが「ゴローズに並ぶのは初めてどうか」の質問です。実際に並ぶのが初めてであるならば素直に初めてである旨を伝えて問題ありません。あくまで会話の中で「違和感」や「矛盾」を感じるかどうかを判断のポイントにしている思われる為、無理に自分を良く見せようとする必要は無いのです。さらには抽選で当日入店できる番号を引いた方には、その番号の書かれたリストバンドがつけられます。このリストバンドは外そうとすると破れるような普通の紙で出来ており、他者に譲渡できないような作りになっています。

入店可能者を判別する整理券がカードの様な物であった場合、他人に譲渡したりその整理券自体を転売するような人が発生してしまう為、そのようなケースを防ぐ為にこの紙のリストバンドが採用されているのです。上記のような転売対策を行っても100%転売を防ぐことは難しく、多々転売が発生してしまっているのが現状です。しかし万が一転売目的の客に商品を売ってしまった場合の再発防止システムとして、新規客は購入後に購入したアイテムと購入後の写真撮影が行われます。次回来店時に前回購入したアイテムを身に着けているかどうかの判断をこの写真から行っていると考えられています。

このようにゴローズでは何段階にも分かれた徹底した転売対策が行われています。本当にゴローズが欲しい人にだけ売りたいという店側の配慮からこのようなシステムやルールが設けられているのです。

ゴローズの好敵手クロムハーツの歴史

ブランド発足から現在まで、多くの人々を魅了し世界に愛されてきたクロムハーツのブランドの歴史は長く、始まりはアメリカのマリブにて1989年に創立されました。クロムハーツを語る・知る上で欠かすことのできな成り立ちについて触れてみたいと思います。クロムハーツといえば「シルバーアクセサリー」というイメージが最も大きいと思いますが実はブランドのきっかけであり根本にあるものは「レザープロダクト」なのです。

元々、創始者の一人であるリチャードは、革のセールスマンとしてアメリカで働いていました。愛車のハーレー(HARLEY DAVIDSON)にまたがり、全米中をセールスで回っていた中で次第に「自分自身が納得のいく、バイク乗りの為のレザーウェアを作り出したい」と考えそこに出会いが重なりクロムハーツは発足されました。バイカーの、バイカーによる、バイカーの為の厳ついブランドだったとは、今のラグジュアリーなイメージからはあまりリンクしないですが、そこがまたクロムハーツのブランディング巧者な一面とも思えます。

ブランド発足の背景にはハーレーというバイクがあり、ブランド名の由来もバイクにあるのです。Chrome don’t get you homeバイク乗りたちの言葉で、乗り出しのビギナーをからかうフレーズをもじり、CHROME HEARTS will get you somewhere that makes you feel like you’re homeというワードをキャッチフレーズに、ブランドとしての成り立ちを起こすこととなるのです。ブランドの人気を語るうえで外すことのできない要素に、偉大な創設者たちの魅力があります。「シルバー界の帝王」と呼ばれる超一流ブランドを作り上げた3人の天才たちのヒストリーについて触れてみたいと思います。

リチャード・スターク(Richard Stark)=クロムハーツの創始者であり、現オーナー兼デザイナーです。クロムハーツを象徴するアイコニックな存在で、クロムハーツ=リチャードといえるほどに彼が表現する世界観やスタイリングをファンは敬愛し、神格化されているカリスマです。そして創始者3人のなかで唯一、現役でクロムハーツの運営を行っている人物でもあります。彼のシンボルともいえる“レザーパンツx黒Tee”スタイリングは当時多くのファンに響き、皆がリチャードを真似て一種のムーブメントが起きるなど、彼の一挙一動がそのままブランドの世界観を表現していました。

幼少期から器用でモノ作りの才能のあったリチャードは、木工職人へ弟子入りし家具の製造や建築などその才覚を建築関係の仕事で活かしていました。現在クロムハーツで展開されているファニチャー(家具)のアイテムの中には、リチャードが自らの手で製造を手掛けているものが多数存在します。後にLONEONESを立ち上げる天才彫金師「レナード・カムホート」前述にある通り、もとはレザークラフトから始まったブランドですが、今現在のクロムハーツの核になるアイテムはシルバーアイテムであり、そのルーツとなるのが天才彫金師レナード・カムホートです。

彼の天才的な彫金技術はクロムハーツの枠に収まらず、最高のブランドを立ち上げたのちにより自身の世界観を実現するためにLeonard Kamhout(現・LONEONES)を創業します。キーパーリングやフローラルクロスリングなど、クロムハーツの代名詞となるアイテムの数々は彼がデザインしたもので、ファンの中でもレナード期と後期のデザインで賛否が分かれるほどです。1994以前の刻印が施されたアイテムの多くはレナードのデザインのものとなるので、気になったら調べてみても面白いと思います。リチャードが全米を旅する中で出会った敏腕セールスマン兼クラフトマンであり、“自身の理想とするバイクウェアを作る”というコンセプトのもと、ブランドが始まったきっかけを作った男でもあります。レザークラフトマンとしても高名な彼のレザープロダクトへの情熱とこだわりは現在まで受け継がれ、クロムハーツのレザー製品が世界中のフリークから賞賛を受けています。

いまや世界的な地位を確立しているクロムハーツが今に至るまでに、どのようにして世界的アクセサリーブランドとして躍進したのというとブランド始動から現在までに、クロムハーツが迎えた3つの転換点があるのです。1989年、リチャードの友人が監督をつとめた映画「チョッパー・チップス・イン・ゾンビー・タウン」(Chopper Chips In Zombie Town)この映画の衣装を担当することになり、スタートしたばかりのクロムハーツにとって最初の大きな転機となりました。その頃は制作費もありませんでした。

だから高価なシルバーの装飾も何もなく、今見てもクロムハーツだとは誰も気付かないだろうねと後にデザイナーのリチャードが語っているほど、シンプルなレザーライダースでしたが、この衣装担当の一件がたちまち口コミで広がり、バイカーの中で人気が出始めました。この人気の高まりを受けて、レザージャケットに施されたシルバーパーツを独立した商品として販売することになり、それがバイカー~さらに人気ロックミュージシャンたちへと評判が広まっていったのです。世界的な知名度を得るに至ったブレイクポイントが、世界的スター達が着用したところにあります。バイカーから火がつき、ロックスターにより起こされたムーブメントは、たちまちハリウッドスターや各界のセレブ達に広がり、一躍クロムハーツの知名度を高めることになりました。

さらに、クロムハーツにとって大きな飛躍のきっかけが訪れ、1992年アメリカファッションデザイナーズ協会(CFDA)のアクセサリー部門で最優秀賞を受賞しました。これによって、バイク愛好家やロックミュージシャンだけでなく、アメリカのセレブを中心に爆発的な広がりを見せ一般の消費者へと一気に人気が拡大していくのです。日本で言えば、最大手セレクトショップ「ユナイテッドアローズ」の取り扱いが始まったのがこの頃です。本来、購入者名義のギャランティ(購入証明書)はクロムハーツ直営店でのみ発行されるのですが、日本の総代理店としてユナイテッドアローズが位置している為、全国のUAショップで正式な取扱店舗としてクロムハーツが展開されることとなりました。

まとめ

ゴローズは昔から変わらず、新しいものを作らないとされています。知名度が上がり、人気が出てきたブランドの多くは、次々と新作を発表したり、売り上げを取ることに意識が向き大量生産する場合がほとんどです。しかしゴローズにはそういった文化が無く「ONE DAY, ONE FEATHER」という言葉もあるほどに購入方法は限定されているのです。

ゴローズの代名詞とも言われるフェザーは、一回の来店につき一人一本までとされています。また必ずしも多種類が常備されているわけではないそうで、「来店」と「購入」がいつも同じというわけではないのです。そんな昔から変わらないゴローズのシルバージュエリーですが、アイテムごとに深い意味があります。込められた吾郎氏の思い、そしてモチーフが表す意味を気に入って身に着けている人も数多くいるのです。

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