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世界最古の通貨はなに?日本最古の通貨についてもご紹介します

148_日本最古の貨幣

皆さんが普段当たり前に使用しているお金は、今では電子マネーや仮想通貨などに形を変えて使われるようになりましたが、この記事では、通貨の中で最も古くに作られた通貨をご紹介します。

貨幣ができる前の通貨はどんなもの?

現在、貨幣があるのは当たり前になっており、お金を用いて簡単に売買をする事が出来ます。では、この貨幣ができる前はどのように物の売買をしていたのでしょうか。

貨幣制度が確立される以前は、物々交換が主流

人々は必要な物品やサービスを直接交換することで経済活動を行っていました。例えば、農産物を持つ農夫が革製品を必要とする際に、革細工師と交渉し物々交換によって取引を成立させるという形式でした。このような方法では、価値の異なる商品同士の交換にはバランスが難しく、信用問題も生じていました。

貨幣の最も大きな利点は共通の価値を認識できる事

物々交換は上述したように、交換のバランスでトラブルになる事も多く、そのうち共通の価値をもつ物を経由させる方法が発展しました。最初期では、貴金属や貝殻などが貨幣の代わりとなりました。それにより、売買が効率的に進むようになりました。これが今の貨幣の源流となっています。

世界最古の貨幣

世界最古の貨幣はエレクトロン貨(Electrum エレクトラム貨)といわれており、ギュゲスの時代~紀元前6世紀の終わり頃、アナトリア半島のリュディアで世界最古の鋳造貨幣として造られました。

この貨幣が造られた背景には、エレクトロン貨が造られる以前は、砂金をそのまま用いた秤量貨幣が関係しています。この方法では、計量や純度確認の手間がかかる、砂金自体の流通量の少なさなど、通貨として不便な点があり、これを解消すべく、熔解させて銀と混ぜ合わせ重量を均一化した硬貨にしたといわれています。銀を混ぜたのは流通量を増やすためでしたが、結果として砂金に比べ硬度と耐久性が増し、硬貨としての実用性が高まる副次効果も生まれました。

エレクトロン貨の形状は貨幣のイメージである薄い円形ではなく、江戸時代に日本で使用されていた豆板銀のような厚みのある板状の塊で片面にアリュアッテス2世の象徴であるライオンの紋章と重量を示す印を刻印していました。

エレクトロン貨の廃止

エレクトロン貨は便利な物でありましたが、金と銀の割合、特に金の含有量を正確に測定することが技術的に困難であり、硬貨の価値が安定しませんでした。そこで、紀元前6世紀の中頃、アリュアッテス2世の息子、クロイソスは通貨改革を行い、それまでのエレクトロン貨を廃し、金貨と銀貨から成る通貨制度を世界で初めて導入したとされています。

古代ギリシアの歴史家であるヘロドトスは、リュディア人のことを「我々の知る限りでは、金銀の貨幣を鋳造して使用した最初の人々であり、また最初の小売り商人でもあった。」と記述しています。

日本最古の貨幣

日本最古の貨幣と考えられているのは大きくわけて和同開珎富本銭が説として挙げられています。最古の貨幣なのに2種類ということに疑問に感じる方もいると思いますので、それについても後述していきます。

和同開珎

和同開珎は、長い間日本最古の貨幣であると考えられていました。和同開珎の鋳造が開始されたのは、元明天皇の時代で708年といわれています。この貨幣は唐の開元通宝(かいげんつうほう)という貨幣をお手本に作られたもので、日本初の流通を目的とした本格的な貨幣です。この和同開珎の発行にちなんで、年号も「和銅」と改められました。しかし、近年になり最古の貨幣ではなかったという事がわかりました。

富本銭

富本銭の発見をきっかけに研究が進み、683年もしくはその少し前から、古代日本政府が官銭として富本銭の製造を開始したことがわかりました。これにより日本最古の貨幣と長らく考えられていた和同開珎よりも古い、日本最古の貨幣となりました。

しかし、この貨幣は人々に広く流通させる目的で造られたものではなく、あくまでも一部の人のみの流通を目的としたものだったため、数も少なくなっています。

どちらも最古の貨幣といえる

日本最古の貨幣という言葉のみで判断するならば、富本銭を最古の貨幣とするのが正しいと思います。しかし、貨幣の役割とは本来、実際に流通させ、利用されてこそという考えもあります。そのように考えると流通を目的として鋳造された和同開珎が日本最古の貨幣という考え方も十分に的を得ているともいえます。

和同開珎は失敗だった?

和同開珎の流通

この時代(奈良時代)の人々は、米や布を基準とした物々交換で生活を営んでいました。一般的に貨幣の必要性が認識されていなかった時代だったため、貨幣を広めることは容易ではありませんでした。そのため、鋳造初期から爆発的に流通する事はありませんでした。

政策面での失敗

和同開珎の流通が滞っている事を改善しようと様々なテコ入れをしました。その中でも一番有名なものは、711年に出された「蓄銭叙位令」といえます。銭貨の普及促進と政府への貨幣還流を目的として、一定量の銭を蓄えた者に位階を与える制度、つまり和同開珎をたくさん持てば出世できますよという政策です。しかし、この政策は上手くはいきませんでした。

理由は、位階に魅力を感じた人々が貨幣を使わず逆に銭をため込んでしまったため、貨幣に流動性が得られず停滞してしまったからです。この政府の意図に反した動きになったため、この法令は800年に撤回されました。

功績は大きい

上述したように和同開珎は全てが上手くいった貨幣とはいえない結果に終わりました。しかし、日本でこれまで存在していなかった貨幣という共通認識を人々に与え、認知させたという功績は大きいといえます。

まとめ

今回は最古の貨幣についてご紹介しました。このような古い貨幣は歴史的な価値が高く、現存する物も少ないため、古銭コレクターに人気の高い物となっています。蔵からでてきた錆びた硬貨が実は歴史的に価値のあるもので、すごい金額になったという話もあります。

しかし、古銭の買取は価値の判断が難しく、正確な価格をつけられる店舗は多くありません。「買取大吉」では経験豊富な鑑定士が多数在籍しているため、価値をつけるのが難しい古銭であっても、価値を正確に査定いたします。ご査定・ご相談は無料で行っておりますので、お気軽にお近くの「買取大吉」各店までご来店ください。

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