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エレクトロンとは?その貨幣としての歴史はどの様なもの?

エレクトロンとは?その貨幣としての歴史はどの様なもの?

エレクトロンとは?

正式名称:エレクトロン貨(Electrum エレクトラム貨)は、紀元前670年頃にアナトリア半島のリュディアで造られた世界最古の鋳造貨幣(硬貨)と言われています。エレクトロンは、ギリシャ語で琥珀を意味した言葉で、金銀合金の色味の淡黄色が琥珀に似ていることから名づけられました。最初は砂金をそのまま秤量貨幣として使用していた時代に計量の手間を省くため、溶かして(鋳造)塊にして、重量を均一にした硬貨にしたと言われています。発想としては地金に似ていて重量=貨幣の価値で重量の異なる複数の種類の硬貨が発行されました。当時の硬貨、厚く平たい塊でした。

金をそのまま鋳造していたわけではなく、銀の割合を増やすことで、流通量を増やす工夫をしていて、今まで見つかっているエレクトロン貨の純度は(最初期の約55.5%を除いて)約40~46%です。

その貨幣としての歴史はどの様なもの?

エレクトロン貨はギュゲスの時代~紀元前7世紀の終わり頃に発明された。紀元前600年頃には、アリュアッテス2世により、品質が保証された貨幣が発行されました。

リュディアのエレクトロン貨は、バクトーロス川の河床から得られた砂金、即ち自然金(自然金は数%から数十%の銀を含む自然合金。金および銀は化学的性質および原子半径が類似し、互いに親和力が強く、完全固溶体を形成し自然界では共存することが多い)の塊の片面に、動物(アリュアッテス2世の象徴であるライオンの紋章)や重量などの極印を刻印したものです。

最初は砂金をそのまま秤量貨幣として使用していたが、やがて計量の手間を省くため、溶かして(鋳造)塊として、重量を均一にした硬貨にしました。発想としては地金に似ています。よって重量=貨幣の価値であった。重量の異なる複数の種類の硬貨が発行された。当時の硬貨は、まだ薄い円盤状ではなく、江戸時代の日本の豆板銀のように、厚く平たい塊でした。また、銀の割合を増やすことで、流通量を増やしており、さらに純度の高い金に比べて耐久性が増し、硬貨としての実用性が高まりました。

アナトリア半島で採れる自然金の純度は約70~90%であり、これまで見つかっているエレクトロン貨の純度は約40~46%です。リュディアで硬貨が発明されたのは偶然ではなく、首都サルディスは、ミダースの故事でも有名な、砂金を豊富に産出するパクトーロス河畔に位置し、エーゲ海~メソポタミア~ペルシアの間の東西交易路の要衝にあり、取引の円滑化の為に、硬貨を生み出す必然があったといえます。

紀元前6世紀の中頃、アリュアッテス2世の息子、クロイソスは通貨改革を行い、それまでのエレクトロン貨を廃し、金貨と銀貨から成る通貨制度を世界で初めて導入したとされています。ヘロドトスはリュディア人のことを、「我々の知る限りでは、金銀の貨幣を鋳造して使用した最初の人々であり、また最初の小売り商人でもあった。」と記述してます。エレクトロン貨が廃された理由としては、金と銀の割合、特に金の含有量、を正確に測定することが技術的に困難であったからと考えられています。

この硬貨というアイディアはギリシア・ローマに広まり、ペルシアやインドなど、西アジア世界にも広まりました。アテナイのドラクマ銀貨、ローマのデナリウス銀貨などが有名です。リュディアを滅ぼしたアケメネス朝の、ダレイオス1世は、リュディアの造幣所と技術者と金銀の資源を活用して、ダレイコス金貨とシグロス銀貨を発行させた。これは世界で初めて人物像(ペルシア王の全身像)を刻んだ硬貨でした。

インドでは、紀元前6~5世紀頃から、ガンジス河流域を中心とする十六大国と呼ばれた国々で、銀の板に複数の刻印を打った打刻印銀貨が使われ始めていました。中国大陸では、戦国時代(紀元前5~3世紀頃)頃から、「円銭・環銭」という、中央に穴(円孔・方孔)の開いた円盤状の、青銅製の鋳造貨幣が、秦・韓・魏・趙などの、当時の中華世界の西部地域で使われる様になりました。

どの様な流通経路だったの?

ケンブリッジ学派のアルフレッド・マーシャルは、金銀比価を安定させる秘策として、金銀合金の貨幣を鋳造しこれを本位貨幣として流通させるのが理想でしたが、この合金は人工的には合成が困難であり、現実には例えば金貨1枚に対し銀貨10枚を組み合わせて兌換を行ない流通させるのが得策と考えました。

しかしこの金銀合金は実際には金および銀を電気炉で鎔解すれば容易く得られます。また、日本の江戸時代の金貨すなわち、小判・一分判・二分判・二朱判および一朱判はすべて金銀合金のエレクトロン貨幣でした。マーシャルは極東の日本でエレクトロン貨幣が流通していたことは全く念頭になかった様です。

まとめ

世界最古の鋳造貨幣と称されるエレクトロン貨。紀元前670年頃のメソポタミア時代に、リディア王国(現在のトルコのアナトリア半島にあった国)で使われていました。金と銀の合金で造られており、「エレクトロン」とは、ギリシア語で「琥珀」という意味でコインの表面にはリディア王国の象徴であるライオンと太陽の紋章、裏面には2つの四角または長方形の極印が刻印されています。

「エレクトロン貨」が製造される以前は、砂金を量ってそれを通貨として利用する「秤量貨幣」により商取引が行われていました。この「エレクトロン貨」から硬貨というアイデアが世界中に広まっていきました。

人類が誕生してから現代まで、貨幣は長い道のりを経て非常に合理的な取引方法の一種を確立させてきました。現代では電子マネーや仮想通貨などその時代によって様変わりして来ているものの、貨幣価値の基準は世代を超えても不変なのかもしれませんね。

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