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様々な逸話をもつフランス国王、ルイ14世

966_ルイ14世-逸話

ルイ14世はフランスの国王の一人です。絶対王政をしいた強大な王として、世界史でも避けては通れない重要人物で、日本でもよく知られています。そんなルイ14世にはありとあらゆる様々な逸話があります。今回はそんなルイ14世の逸話をまじえつつ、彼の治世下で花開いたフランスの栄華の時代を紹介します。

4歳で王に

ルイ14世はブルボン朝三代目の王です。ブルボン朝初代王であるアンリ4世の代から、フランスでは内乱が絶えず、国内の情勢は不安定でした。ルイ14世の父、ルイ13世の時代は旧教(カトリック)と新教(プロテスタント)の対立、対外戦争や民衆蜂起などに悩まされつつも、有能な宰相リシュリューの活躍もあり絶対王政の盤石が固まっていきます。1643年、ルイ13世が亡くなるとルイ14世は弱冠4歳にして王位を継承します。しかし、ルイ14世の王即位直後に、貴族や民衆などが起こしたフロンドの乱がおこります。これはリシュリューの後を継ぎ、中央集権化を断行したマザランに反発する貴族が反旗を翻した反乱で、結果的にこの反乱は鎮圧されますが、この経験からルイ14世の貴族への不信感は強まり、その不信感は貴族を弱体化させる政策やヴェルサイユ宮殿への遷都という形で表面化していきます。

貴族嫌いのパリ嫌い

ルイ14世は絶対王政を確立させ、フランスにおいて自身のもつ王権を揺るぎないものにしました。その様は有名な「朕は国家なり」という言葉に象徴されています。ルイ14世が王権を持つ根拠は“国王の支配権は神から授かったものであるから神聖不可侵であり、臣民は国王の命令には絶対に服従しなければならない”という「王権神授説」に帰されました。またフロンドの乱から得た教訓により、新興貴族やブルジョワを積極的に登用し、大貴族の権力を弱めることに余念がありませんでした。ルイ14世の下でフランス経済の発展に貢献したコルベールや、強力な軍隊を組織したルーヴォワも、元をたどれば貴族ではなく商人の出身でした。

ルイ14世の両腕

そのコルベールは戦争や内乱のために傾いたフランス経済を、税制改革や国内産業の振興によって建てなおしました。輸入品に高い関税をかけて国産品を守り、国内産業を保護・奨励し、工場制手工業を促進しました。また、高級品の製造を奨励しフランスの産業発展を推進したことは、フランスが流行の最先端の地としてしられ、今日でも錚々たるラグジュアリーブランドの牙城たりえる基盤をつくったとも言えます。コルベールの政策によって、ゴブラン織やレース、ガラス(鏡)の製造が盛んになりました。また、海軍卿として海軍を強化しフランス東インド会社の建設など海外進出を図りました。

もう一人の重臣ルーヴォワも、軍隊を増強することによってフランスの国力を高めることに大いに貢献しました。もともと貴族や傭兵が所有する軍隊の集合体という性格が強かったフランスの軍隊を、民兵制や徴兵制によって国王直属の軍隊に再編成することを構想しました。また、身分にかかわらず、実力による昇進を可能とする階層制度を採用しました。世界遺産であり荘厳な佇まいが特徴的なパリのアンヴァリッド(廃兵院)も、ルーヴォワによって建設されました。

ヴェルサイユ宮殿は強国フランスのショールーム

豪華絢爛なヴェルサイユ宮殿。パリからほど近い場所にあるため、現在は観光スポットとしても有名です。ヴェルサイユ宮殿はルイ14世の父ルイ13世の時代には狩猟のための別荘でありましたが、ルイ・ル ボーやクロード・ペロー、ジュール・マンサールなどのフランスバロック建築を代表する名建築家の叡智の結晶として、大々的に増改築がなされました。また、庭園はこの時代の庭園のスタイルを確立したアンドレ・ル ノートルによるもので、左右対称と幾何学状に成型された緑や花、彫刻、噴水が総合的に調和する空間でした。また彫刻にはギリシャ神話による寓意が含まれ(例えば太陽神アポロンはルイ14世の象徴)、噴水は水なきヴェルサイユに水を噴出させるという、自然すらも克服する絶対王権を象徴しているものでした。この庭園は国民に解放され、王直々に筆をとり、庭園ガイドを綴りました。

流行の最先端としてのフランスはルイ14世に始まった

こうした豪華絢爛で躍動感のある美的様式は「ルイ14世様式」とすら呼ばれ、バロック様式の中でも際立った存在感をもっています。ルイ14世の治世下において、「美」は国威を象徴するプロパガンダとして盛んに顕示されました。そのため、コルベールの政策と相まってルイ14世のもと、文化はフランスバロック芸術としてあらゆる分野で花開いていきます。

ファッション

ファッションにおいても“ド派手”な装いが流行しました。これは当時の強国スペインが植民地から得た高級染色料をつかって、黒を基調にしたファッションを押しだしたことに対するアンチテーゼでもあったと言われています。ちなみに「コーデュロイ」という生地は、ルイ14世の戴冠式に際して献上されたことから“Corde du Roi コードデュロワ”、すなわち王様の畝と呼ばれ、ルイ14世も高く評価し、庭師の作業着に採用されました。また、背中に及ぶ長い毛髪の「かつら」も権力と高い地位を象徴するものとして、地位の高い人々の必需品でした。ルイ14世はヴェルサイユ宮殿におけるドレスコードを詳細に定めたといわれます。

またルイ14世はダイヤモンドの愛好家としても有名です。ルイ14世が所有したダイヤモンドの中には持つものを不幸にすると言われる「ホープダイヤモンド」があります。これは69カラットにもなる大きなブルーダイヤモンドで、冒険家で商人のジャン・バプティスト・タヴェルニエから購入したものと王の好みにカットさせたものです。

ちなみに高級ジュエラーの聖地として知られるパリのヴァンドーム広場もルイ14世時代に作られた広場で、ヴェルサイユ宮殿の建築にも関わったマンサールによる設計です。現在のような高級ジュエラーが軒を連ねるようになったのはその後、ナポレオン三世による19世紀後半の第二帝政期のことです。

学術

ルイ14世の重臣コルベールはルイ13世時代に創設されたアカデミーフランセーズ(フランス学士院)を庇護しました。アカデミーフランセーズはフランス語の統一を図り、フランス文学が発展に寄与します。また、「王立絵画彫刻アカデミー」(1648年)、「舞踏アカデミー」(1661年)、「碑文・文芸アカデミー」、「科学アカデミー」(1663年)、「王立音楽アカデミー」(1669年)、「王立建築アカデミー」(1671年)などの様々な分野の専門機関を設立し、これらはフランスにおける学問や芸術の権威として機能していきます。王立絵画彫刻アカデミーの創設を主導したシャルル・ルブランはルイ14世の第一画家としてヴェルサイユ宮殿の絵画を手掛けており、ルイ14世の寵愛を得たジャン=バティスト・リュリは、音楽においてフレンチバロックを大成しました。またルイ14世自身も宮廷舞踏を大いに愛し、ギリシャ神話の太陽神アポロンに扮してメヌエットを躍ったことから「太陽王」のあだ名が生まれました。

美食

ルイ14世はたいへんな食いしん坊であったと言われています。300人のお抱え料理人がおり、一度の食事で20種類以上の料理が供されました。また、当時ワインは薬としても考えられており、ルイ14世への“処方箋”は毎日数匙のロマネコンティだったと言われています。

まとめ

絶対王政の典型としてしられる、中近世フランスの繁栄期の王ルイ14世。弱冠4歳で王の座に就き、のべ72年ものあいだ王位にありました。この在位期間はギネスブックにも認定されており、ギネス記録の保持者でもあるのです。そんなルイ14世にはさまざまな逸話が存在し、今に至るまでその生き様は、古今東西さまざまに語り継がれてきました。また、ルイ14世の在位期間にはフランスは経済的にも文化的にも繁栄し、バロック文化が花開きました。

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