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ルイ・ヴィトンの今を担うカプシーヌ

1209_カプシーヌ 高い

電撃的とも言える登場後、ルイ・ヴィトンの最もラグジュアリーなバッグとして不動の地位を獲得したカプシーヌ、ここではブランドの歴史をたどりつつ、どのようにしてこのバッグが生まれたのかを綴っていきます。

ルイ・ヴィトンの歴史

ルイ・ヴィトンの創始者である「Louis Vuittonルイ・ヴィトン」は、1821年のフランスのジュラ地方アンシェイ村で生まれました。しかし両親との折り合いが悪く、青年期は飛び出すような形でパリへ渡り、トランク職人としての仕事を開始します。そして見習いとして、マルシャル氏のもとで17年間働いた後、トランク職人としてフランス王室から注文を受けるほどの一流の職人として名が知れた存在でした。

1894年、彼は満を持して旅行用トランク専門アトリエをオープンしました。自身のアトリエを開いた後、当時の移動手段の変化に目をつけ、軽い防水加工を施した平らなトランクを発案したことで、さらに需要が高まります。

需要の高まりを受けて、何年もかけてアトリエをどんどん拡大していきました。しかし、本当の意味でルイ・ヴィトンが評価されたのは、創始者であるルイが亡くなった後です。

そのきっかけとなったのは、ルイの息子のジョルジュがルイ・ヴィトン社を世界へ発信していったことです。ヨーロッパを離れてアメリカへも渡航し、ニューヨーク、シカゴなどを旅行しながら、ルイ・ヴィトン製品を売って歩きました。ルイ・ヴィトンの名前が売れていけばいくほど模造品が出回ったものの、模造品に対抗すべくデザインを工夫したことで、今や象徴といえる「モノグラム」を生み出すことに成功しました。

日本にルイ・ヴィトンが上陸したのは、1978年です。自国のフランスで成功したルイ・ヴィトンが初めての世界進出に乗り出した国が日本でした。1978年に東京・大阪に6店舗出店、すぐさまファッション界で話題を集め、大流行となります。1980年代には香港と、アジア圏への進出も果たします。

この発信力は現在でも衰えておらず、今でも新たなコレクションを発表し続けています。

ルイ・ヴィトン歴代デザイナー

1998年~2013年:Marc Jacobs マーク・ジェイコブス

ユダヤ系アメリカ人のマーク・ジェイコブスは、マンハッタンにあるハイスクール・オブ・アート・アンド・デザインに入学します。

当時、ハイエンド商品を取り扱いしていたブティックの『シャリヴァリ』で働いていたマーク・ジェイコブスは、通常業務に加え、セーターのデザインを任されていました。これがきっかけでファッションデザイナーのペリー・エリスに見出され、パーソンズ・スクール・オブ・デザインに進学します。

在学中からその才能は抜きん出ており、卒業後はペリー・エリスに入社、レディース部門の責任者に抜擢されグランジ系のデザインを発表し話題を呼びました。

1986年マーク・ジェイコブスが23歳の頃には自信のブランドである『マーク・ジェイコブス』を創業します。その後1994年(31歳)にはマーク・ジェイコブスの誕生日を祝って、ナオミ・キャンベル、リンダ・エヴァンジェリスタなどのモデルがコレクションに出演しました。

スーパーモデルがコレクションに出るということで相当なギャラが支払われたのかと思われていましたが、誕生日プレゼントと言うことでノーギャラ出演し、かなり話題となりました。

マーク・ジェイコブスがルイ・ヴィトンのデザイナーに抜擢されたのは1997年のことです。以下に彼の功績を説明します。

 

・ヴェルニライン

ヴェルニラインと言うと今では若い女性に人気が高いモデルでルイ・ヴィトンの主要アイテムの一つでもありますが、マーク・ジェイコブスの手により作られたアイテムだったのです。カラーバリエーションが豊富なヴェルニを作ったことにより、若い層からの人気を集め、新風を巻き起こしました。

 

・多様な素材の使用

エナメル素材のヴェルニや大胆なデニム使いや、冬の主力製品である、ファーアイテムもそのモダンな表現で人気になりました。新素材を採用したことにより、ルイ・ヴィトンのアイテムに幅が広がり、購入層が広くなったのです。

 

・日本人アーティストとのコラボレーション

マーク・ジェイコブスは大の親日家と知られ、日本人アーティストとのコラボを実現させました。水玉模様で有名な画家『草間彌生』や、ポップなフラワーの絵を描くことで有名な画家『村上隆』この二名とのコラボを発表しました。このコラボではアートやファッションの枠を超えた広い層で人気となりました。

 

2006年~2011年:Paul Helbers ポール・エルバース

オランダ出身のファッションデザイナーです。メゾンマルタンマルジェラ(現メゾンマルジェラ)でメンズコレクションのデザインを監修していた凄腕デザイナーです。このメゾンマルジェラは、マルタンマルジェラ自身については言わずもがな、現代ファッションシーンを担う数々の実力派デザイナーが在籍していたことでも有名です。ポール・エルバースがルイ・ヴィトンで行った功績はメンズラインのモノグラム・マカサーを発売したことです。

ルイ・ヴィトンはウィメンズラインの存在にメンズラインが押されている印象が拭えませんでした。そこでメンズラインの強化としてモノグラム・マカサーを発表し、メンズシーンにアピールします。このメンズへのアプローチにより、ルイ・ヴィトンのメンズラインが充実してきます。

 

2011年~2018年:Kim Jones キム・ジョーンズ

キム・ジョーンズはイギリスに生まれ親の影響で幼少期は南米やアフリカで過ごします。ロンドンに戻ってからはロンドン芸術大学に入学し、芸術の基礎やグラフィックデザイン、3Dデザインなど幅広く勉強してきます。

在学中はGimme5(ギミーファイブ)のデザイナーとして働き、創設者のマイケル・コペルマンに一目を置かれた存在でした。キム・ジョーンズと言えばストリートファッションですが、このギミーファイブでの経験が彼のデザインに大きく影響しております。

ギミーファイブ創設者マイケル・コペルマンはフラグメントデザインの藤原ヒロシ、アンダーカバーの高橋盾、NIGO®、シュプリームのジェームス・ジェビア、ステューシーのショーン・ステューシーなどと繋がりが強い人物です。キム・ジョーンズはマイケル・コペルマンを通じて彼らとつながり、後々のコラボに生かしました。強いコネクションを手に入れたキム・ジョーンズは自身のブランドを設立し、デザイナー人生として順調な走りだしを果たします。

2008年にダンヒルのデザイナーに就任した時に一度自身のブランドを休止し、ダンヒルのメンズウェアとアクセサリーのデザインに集中します。ダンヒルはダンディな男性が着用しているイメージが強いブランドでしたが、キム・ジョーンズの活躍により、若い世代にも愛されるブランドになりました。ストリートファッションをけん引しシュプリームとのコラボレーションも話題になりました。

キム・ジョーンズがルイ・ヴィトンで行った功績は『メンズプレタポルテ部門をメジャーにした』ことにあります。ルイ・ヴィトンのプレタポルテ(高級既製服)部門に於いて、まだまだレディースイメージが強く、一般には“服を売っている”ことすら知らない人もいたくらいです。

キム・ジョーンズはこのイメージを払拭すべく、fragment designやSupremeとコラボしファッション意欲の高いストリートファッション層にアクションをかけました。このアクションは大成功となり、ルイ・ヴィトンのプレタポルテが世間で認められたのです。

また、最近のルイ・ヴィトンのファッションイメージと言うのはキム・ジョーンズが作ったといっても過言ではなく、それほど大きな影響をルイ・ヴィトンには与えることが出来たのです。ルイ・ヴィトンのデザイナーを退任後はDiorのデザイナーに着任し、現在はFENDIのデザイナーに就任しています。

 

2013年~現在:Nicolas Ghesquiere ニコラ・ジェスキエール

マーク・ジェイコブスの後任としてルイ・ヴィトンのレディースラインのアーティスティックディレクターに招かれたのがフランス出身のニコラ・ジェスキエールです。彼はファッション系の専門学校を出ていないものの、19歳からジャン・ボール・ゴルチエ、ティエリー・ミュグレー、ステファン・ケリアン、トラサルディなど名だたるブランドでキャリアを積んできました。

その後、弱冠26歳でバレンシアガのデザイナーに抜擢されます。ブランドイメージを一新し、低迷に悩むバレンシアガを再興した才能は各方面から注目を浴び、2000年にVHI・ヴォーグファッション・アワードの「アバンギャルド・デザイナー・オブ・ザ・イアー」を受賞しています。バレンシアガを復活させたニコラ・ジェスキエールは、ルイ・ヴィトンのアーティスティックディレクター着任後からも、ブランドの地位を一層確立するデザインを発表し続けています。

日本でも話題となったのは、ゲームキャラクターをモデルに起用するというアイデアです。2016春夏コレクションにて、人気ゲーム「ファイナルファンタジーXIII」のCGキャラクターである"ライトニング"ことエクレール・ファロンにヴィトンのアイテムをまとわせた広告は、見る人を驚かせました。2022年現在も、ファッション界に新たな感覚をもたらす存在として注目されています。

 

2018年~Virgil Ablohヴァージル・アブロー

キム・ジョーンズの後任としてデザイナーに着任したのはOff-Whiteオフホワイトの創設者であり、デザイナーのヴァージル・アブローです。元々は建築の勉強をしていた彼ですが、在学中にファッションに興味を持ち、建築の勉強の傍らTシャツのデザインを行っておりました。このデザインを行っている時にラッパーのカニエ・ウェストと接点を持ち、FENDIで一緒にインターンを務めます。

その後2009年に自身のショップであるRSVP Galleryを立ち上げます。また、同時期にカニエ・ウェストが立ち上げたプロジェクト(DONDA)にアーティスティックディレクターとして参加しデザイナーとして一歩を踏み出しました。

4年後の2013年にはオフホワイトをイタリアミラノで立ち上げ、中国、日本、アメリカへと販路を拡大し、ナイキやIKEAともコラボを行ったことで知名度は爆発的に上がりました。ヴァージルがルイ・ヴィトンのデザイナーに着任したのは2018年のことです。

彼の影響はとても大きく、着任時から話題となりました。ルイ・ヴィトンという知名度の高いブランドで初めて黒人が抜擢されて事により、ファッション業界に衝撃が走りました。

実はルイ・ヴィトンのCEOであるマイケル・バーグはFENDIのCEOでもあります。ひょっとしたら、FENDIにインターンをしていたときに彼の存在感が今回のようなデザイナー選出になっているのかもしれません。

彼のアイテムの特徴はストリートでラグジュアリーなイメージが特徴です。Off-Whiteでもそうですが、それはルイ・ヴィトンのアイテムでも表れており、多くのストリートファンを魅了しております。ヴァージル・アブローとNIKEがコラボしていたこともあり、最近では流行のファッションアイテムの中に彼のアイテムを混ぜることもよくあります。

そんなヴァージル・アブローがルイ・ヴィトンで成し遂げた偉業が既にあります。それがルイ・ヴィトン初メンズジュエリーを発表したことです。

今後ますますの活躍が期待されていましたが、2021年11月に惜しまれつつ41歳という若さでこの世を去りました。彼亡き後はデザインチームがクリエーションを引き継いでいます。

「カプシーヌ」の特徴と魅力

そんなルイ・ヴィトンが手掛けるコレクションの中でも、エレガンスを体現するバッグとして登場したのが「Capucines カプシーヌ」です。

モデル名にもなった、この「カプシーヌ」とは、ルイ・ヴィトンが初めて店舗を構えたパリのカプシーヌ通りからとったもので、シンプルなフォルムは、パリを彷彿させる、都会的でシャープな印象に仕上がっています。ワンハンドルにコンパクトなボディは、女性の手元を繊細かつ美しく見せるデザインです。

また、バッグ本体とハンドルとのつなぎ目は、まるで指輪を思わせるかのようなリングでつなげられており、他にはない個性とラグジュアリーを感じさせます。正面上部にはアイコンモチーフのLVシグネチャーが輝き、歴史あるルイ・ヴィトンのバッグであることを堂々と表しています。

 

ルイ・ヴィトン カプシーヌの特長

フラップ部分(バッグの口についているふた)は自由に出し入れできる構造で、中の荷物が見えないように設計されていので、シーンに合わせた使い分けも可能です。

フラップを出せばLVシグネチャーが隙間から見え隠れするシンプルなデザイン、反対にフラップをしまえば小さなモノグラムフラワーが現れる、ファッショナブルで洗練されたディテールの変化を楽しめます。

ショルダーストラップ付で、ハンドバッグとショルダーバッグの2WAY仕様です。機能面では、コンパートメントに2つのポケットが備え付けられており、収納面もとても充実しています。

 

もはや価格競争の上に君臨するカプシーヌ

2013年にカプシーヌが発表されました。その発表前のプレスリリースを見ると

それまでには無かった、「地位を向上する」、「ブランドをアピールする」という文字が躍ります。高級ブランド市場での価格競争から抜け出すために、ルイ・ヴィトンのブランド力の向上を目指しているタイミングだったようです。

その手段は様々で「製品を強烈にアピールした」、「顧客には店舗において特別な体験をしてもらった」、「パリのヴァンドーム広場で大々的なワークショップを開催した」、高級ブランドとしての格を上げるため、由緒ある場所でのイベントを開催したり、顧客をもてなしたり、などプロモーションに多額の費用をかけていることをうかがわせる記述も、数多くあります。

そして、2013年にカプシーヌが発売されるのです。このような流れで発売されたカプシーヌに期待されていたのは、ブランドの格式を上げることです。ルイ・ヴィトンが、1854年に第一号店を出した、パリの通りの名前、それがカプシーヌ通りでした。当時、大激戦区に打って出て成功し、格の違いを見せつけた原点とも言える名前をこのバッグに付けたのです。

 

プロモーション費用を乗せた、カプシーヌの販売戦略

カプシーヌは定番モノグラムラインの3倍の価格設定です。高価格帯のカプシーヌを、長期的に売り出し、ブランドの格を上げることだったのです。驚くべきことに、多額のプロモーション費用は、ほとんど利益を圧迫していません。2013年こそレザー製品部門の利益が減ったものの、14年と15年は、利益を大幅に伸ばしています。これは、高価格帯のカプシーヌの値段に、しっかりプロモーション費用分も乗せているからではないでしょうか。

もし、価格を抑えて、プロモーション費用も乗せないという選択をしていたら、翌年以降にじわじわと利益を圧迫するはずです。ところが、そうなっていないということは、プロモーション費用は価格に含まれていると考えるのが自然です。このように「カプシーヌ」という名前にブランドの格式を上げるためのプロモーション費用を乗せたのは価格競争から抜け出すため、だから、カプシーヌは驚くほど高いのです。

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