分銅とは
分銅の正しい読み方は「ふんどう」になります。分銅の”分”は「わ(ける)」「ふん」「ぶん」と読むことができますが、分銅は「ふんどう」と読むのが正しく、「ぶんどう」と読むのは間違いです。また、分銅は天秤で物の質量を量る際に使用する金属の塊のことです。
天秤の一方に物をのせ、もう一方に分銅をのせることで重さを量ることができます。かつては「法馬(ほうま)」とも呼ばれており、大小さまざまなサイズのものがあります。
使用用途と種類
使っている電子はかりが常に正しく計量できているか、点検や検査に使います。分銅には形状毎に用意されている質量・等級・材質があります。
円筒分銅
計量法やJISなどの規格に完全適合しています。校正によって基準分銅やJCSS標準分銅にできます。
円盤分銅
複数積み重ねることができ、実用基準分銅や実用標準分銅として電子天びんやはかりの校正・調整・検査に最適です。
枕型分銅
取り扱いや持ち運びが容易で、積み重ねも可能です。実用基準分銅や実用標準分銅に最適です。
板状分銅
1mg~500mgの小質量分銅です。
分銅の歴史
古くは大名などが有事に備えていた、金塊を小分けにしたものを分銅と呼んでいます。さらに、鎖鎌と兼ね合わせることにより、武器としても使えるようになったと言います。2013年にかなり古いと見られている分銅が亀井遺跡より出土しています。
この、亀井遺跡より見つかったとされてる分銅は、6個1セットのものと考えられており、さらには2セットではないのかと推測をされているようです。
こういった、貴重な分銅であると、骨董買取においてもとても高価買取が期待できます。さて、そんな分銅なのですが、やはりよく使用されていたのは、江戸時代などの頃でしょう。
江戸時代によく見られる分銅
江戸時代の分銅は「後藤分銅」と呼ばれており、銀貨は丁銀や豆板銀などでした。 こういったものは、秤量銀貨であり、結果的に両替商などが天秤を用いて量目を測量し、その貨幣の価値を定めるものとして扱われていました。また、すでにこういった時期からも模倣をした偽金などが出回ることが多かったと言われています。
そのためか、分銅は偽造防止のために、彫金を生業としていた後藤四郎兵衛家の作る分銅以外は貨幣として認めていなかったのだそうです。
度量衡統一以来幕末の200年以上という再現にわたり、尺貫法の通貨の単位でもある両や匁は圴一ということになっていました。この当時には、この後藤分銅のみだったことから、現在でも骨董買取においてはこの後藤分銅が非常に多い、とされているのです。
さて、そんな分銅なのですが、蚕の繭のような形をモチーフしていると言われており、生糸の貴重さを貨幣にも加えるという意味合いがあったようです。 さらに、当時の両替商の看板なども、この分銅をモチーフにしており、現在でも銀行の地図記号として使われています。
分銅金と呼ばれるものもあり、こちらも骨董買取では、非常に貴重なものとされています。古い分銅なども出てきているので、これからも注目したい骨董品です。
まとめ
普段耳にしない、目にしない分銅ですが歴史や価値がわかると面白いですね。皆様もぜひ見る機会・触れる機会がありましたら是非分銅について調べてみてください。