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ダイヤモンドを支配したデビアス社の道のり

20_ダンケルの勲章

手軽に持ち運べる資産ともいわれるダイヤモンド。実はこのダイヤモンド、ある一つの会社によってその価値観を支配されていた過去があったのはご存知でしょうか。まさに、ダンケルの勲章。その歴史をご紹介いたします。

アフリカのナポレオン

1866年、南アフリカ大陸において、ダイヤモンドの大鉱脈が発見されました。それまではインド、ブラジルにおいてダイヤモンドが発掘されておりましたが、1860年代に入るとすっかり枯渇。倒産、縮小に追い詰められていたダイヤモンド産業にとって南アフリカ大陸での大発見は一筋の光でした。しかし、ここで予想外の事態が。大鉱脈から発掘されるダイヤモンドの量はあまりに多く、その結果としてダイヤモンドの価値が低くなってしまう恐れが出てきてしまいました。せっかくダイヤモンドの枯渇から脱出したにもかかわらず、これでは元も子もありません。

その傾向にいち早く気づいたのがセシル・ローズという男でした。「アフリカのナポレオン」と呼ばれ、アフリカ大陸を跨ぐ巨大なセシル・ローズの風刺画が、学校の教科書にも掲載されているほどです。1881年、セシル・ローズは青の世の大富豪と呼ばれるロスチャイルド家から多額の資金援助を受けデビアス社を設立し、数々のダイヤモンド鉱山を買収していきます。そしてロスチャイルド家(陰には大英帝国)のためにと、セシル・ローズはダイヤモンドにとどまらず南アフリカ大陸における、鉄道・電信・新聞まで自分の支配下に治めました。そのあと、政界にも進出し、会社の経営者から首相にまで上り詰めましたが、1902年にこの世を去ってしまいます。

独創的で厳密な支配

デビアス社が苦戦していた1917年、別の場所では金生産を生業とするアングロアメリカン社が設立。現在でも世界最大と言われる大企業を創ったのがドイツ系ユダヤ人のアーネスト・オッペンハイマーでした。

アーネスト・オッペンハイマーとは

アーネスト・オッペンハイマーはドイツ・フライブルグ出身の鉱山事業家で、ダイヤモンドや金の採掘で富を築きました。通称ダイヤモンドキング。1888年に生まれ、16歳で兄弟の勤めるダイヤモンド会社に入社する為にロンドンヘ渡り、ダイヤモンドの仕分けアソートに従事します。すると程なくして頭角を現し社内随一のダイヤモンドのアソート技術者に上り詰めます。

この時ロンドンで作り上げた人脈は豊富で、アーネスト・オッペンハイマーには人を惹きつける魅力が備わっていたと思われます。後のアメリカ大統領、ハーバート・フーバーもこの頃からの友人。この後、彼の活躍を助ける重要人物が、社会人になりたてのロンドン時代の頃からの関係と言うのも興味深いです。1912年、デビアス社は彼を南アフリカへ派遣する事を決めます。オッペンハイマーは南アフリカのキンバリーで15年間ダイヤモンドの仕分け作業に従事します。その傍らキンバリー市の市長を務めるなど政治的な手腕も徐々に発揮し始めます。1917年にはアメリカの企業と金鉱脈の開発にも参画しています。ダイヤモンドキングと呼ばれるオッペンハイマーですが、鉱山事業全体に精通していたことは有名です。

アングロアメリカンと協業

後に、デビアス社の会長となったアーネスト・オッペンハイマーは、世界のダイヤモンドを掌握しようと様々な案を打ち出しました。一つ目はダイヤモンド生産組合を作り生産調整を行う。二つ目はダイヤモンドをすべて買い占め、それを流通させるべくダイヤモンド貿易会社を設立。三つ目は流通されたダイヤモンドを販売する中央販売機構を設立。

つまり、発掘→流通→販売といった流れをデビアス社が一括することになったのです。特に三つ目は、生産量や実績によって価格を決めるといった所謂「相場」を作り上げ、一つの会社が世界のダイヤモンド相場を独占する状態になりました。

ここで一つ、中央販売機構でどのような取引がされていたのかをご紹介します。デビアス社が開いたダイヤモンドの販売会に、世界中からダイヤモンドを買うために販売会社が集まります。販売会が始まると、各販売会社には、ダイヤモンドがぎっしりと詰まった一つの袋が渡されます。渡された後に、販売会社はこの場で中身を確認することはできるので、皆、袋の中身をチェックはするものの、ダイヤモンドの一つ一つを選ぶことはできません。ここで彼らにある選択権は袋の中身全てを買うか買わないかの二択。つまりは、中身を選別して買うことを認められなかったということです。その場で買わないと宣言し、別の袋を選ぶ権利はあったそうですが、あまり何度も選びなおすと次回からその販売会に呼ばれなくなってしまうため、実際は権利を行使する余地はなかったということでしょう。

ちなみに、販売関係の話は「婚約指輪は給料の3か月分」「ダイヤモンドは永遠の輝き」など数々のフレーズはデビアス社によって世界に広まったと言われています。

まとめ

現在、新たな鉱山の発見やほかの国々によるデビアス社を通さずにダイヤモンドが流通されており、デビアス社の支配力は縮小しつつあります。世界には、独占していた者が弱まっていくのに快哉を叫ぶ方も中に入るかもしれません。しかし、歴史を遡ってみれば始めに起こったダイヤモンドの過剰生産。それを調整させたセシル・ローズ。もし、彼らがいなかったら世界はどうなっていたのでしょうか。もしかしたら、ダイヤモンドの価値は下がってしまい安価で価値のない石として扱われていたかもしれません。あるいはダイヤモンドを我先にと争いがおこり、沢山の人が命を落ちしてしまっていたかもしれません。現在ではダイヤモンドの価値が維持され、ダイヤモンドこそ至高という価値観が共有され、私たちが楽しむ事ができるのは、デビアス社という会社の最大な功績なのではないでしょうか。

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