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買取大吉 世界中を大パニックに陥れたニクソンショックをご紹介

世界中を大パニックに陥れたニクソンショックをご紹介

083_ニクソンショックとは

ニクソンショックという出来事を聞いたことありますか?ニクソンショックは現在の為替の基本である変動相場制に移行するきっかけになった大事件です。今回は、そんな世界を大混乱に陥れたニクソンショックやニクソンショックに関わる金本位制の説明をしていきます。

固定相場制とはどんなもの

現在、世界の為替相場は常に変動し続ける変動相場制が採用されており、今日1ドル=100円だったとしても、明日は1ドル=99円や101円に代わっているかもしれません。しかし、過去の世界経済ではブレトンウッズ体制による固定相場制が主流になっており、アメリカのドルが基軸通貨とされ、日本の場合は1ドル=360円という相場で固定されていました。

【なぜアメリカのドルが基軸通貨として信頼されていたのか】

通常、基軸通貨というものは植民地支配などをしている場合を除いて認められる事がかなり難しいといえます。特にアメリカドルのように世界各国で認められるという前提で考えるとほぼ不可能といえるでしょう。それにもかかわらず、アメリカドルが基軸通貨として認められたのにはある理由があります。

それは、当時のアメリカは大量の金を保有しており、アメリカのドルが金1オンスあたり35ドルという基準で発行されていたためです。各国はアメリカドルをそのレートでいつでも金に交換することが可能となっており、各国の通貨=アメリカドル=金〇〇gというような疑似的な金本位制(金の保有量を基にして通貨価値を定める制度)が出来ていたため、アメリカドルが世界規模の基軸通貨として安心して取引される環境になっていました。

ニクソン・ショックが起こり世界がパニックに

上述したような固定相場制は金という安心材料から成り立ち、各国はそれによって安心して貿易を行う事が出来ていました。しかし、1971年に当時のアメリカ大統領であったリチャード・ミルハウス・ニクソンが「今後、アメリカドルと金の交換には応じない」という考えを発した事で、戦後のブレトンウッズ体制から続いてきたアメリカドルを基軸通貨とした固定相場制の世界経済が成り立たず、崩壊する事が明白となり、世界中が大パニックになりました。これが俗にいうニクソン・ショックと呼ばれているものです。

ニクソン・ショックが起こった背景

アメリカが保有する金以上のドルが世界に存在していた

アメリカドルが基軸通貨となっていた背景には、アメリカドルを介した実質的な金本位制の構図が出来ていたことが大きいです。これは、アメリカが世界でも圧倒的な量の金を確保していたためでした。しかし、戦後のアメリカは貿易で海外の商品を積極的に仕入れていたため、世界のドルの流通量が増加していました。また、朝鮮戦争やベトナム戦争などにも多額に費用をドルで捻出していました。

このような状況が続き、莫大な量を保有している金以上のドルが世界にある状況となりました。具体的には、1970年には金の保有量111億ドルに対して、世界で流通しているドルが193億ドルにものぼっていたといわれています。金本位制の基本は金の保有量=発行されている貨幣の上限ですが、この時のアメリカはそれを満たしておらず、万が一世界中の国が金とドルの交換を一斉に求めてきた場合にアメリカが交換に応じる事が出来ないことになり、その危機感からニクソン大統領は金とドルの交換はしませんと宣言したのです。

ドルの価値を下げたかった

当時のアメリカは貿易赤字が続いており、アメリカ国内の経済の不振が続いていました。この状況を打破するためには輸出に有利なドル安の状況をつくり、輸出益を増やし、国内の経済不況から脱却しようとしたのです。

ニクソンショック後の日本の対応

ニクソン・ショックを受けて、世界の国々はドルの価値が暴落し、大きな損害を出す前にドルを売却しようと、市場に押し寄せることになりました。この混乱を受け、各国の外国為替市場を一時的に封鎖する対応を行いました。しかし、日本だけはそのような状況でも外国為替市場を取引停止することなく開き続けていました。これはなぜでしょうか、今でも詳細はわかっておりませんが、有力な3つの説をご紹介します。

影響を予測できなかったという説

ニクソン・ショックが起こる事によって、ドルの価値が下がり、各国がドルを売ることになる、という予想ができなかったという説です。

輸出産業への配慮説

上の<※1ドル=100円を基準として>をご覧ください。ドルの値段が下がる(ドル安)とそれに対応して円の価値が上がります(円高)。そうなると輸出産業は大きなダメージを受けます。円高は輸出に不利だからです。これを見込み、輸出産業がドルと円を交換できるよう市場を閉鎖しなかった、という説です。

銀行、商社への配慮説

銀行や商社は、大量にドルを所有していました。もし市場を閉鎖してしまえばドル安によって、銀行、商社には大きなダメージを受けてしまいます。これを配慮して、ドルと円が交換できるよう開放し続けたのではないか、という説です。

これらの説が原因なのか、はたまた全く違う理由があるのかはわかっていませんが、日本は円を売ってドルを買うという動きを続け、結果として当時の時点での2,000億円の赤字を出すことになりました。

変動相場制へ

変動相場制に移行したことによって、1ドルとの交換比率は、外貨の需要と供給の関係によって決まることになります。例として円ドル為替で考えると圧倒的に輸入が多い場合には貿易を通して、外国為替市場に需要を超えた多くの日本円が存在することになり、日本円の価値が下がることになります。逆に輸出が多い場合には需要よりも円が少なくなるため円高になります。これによって貨幣が金銭的な意味合いの他に、お金そのものが売り買いされるようになり、ある意味各国のお金が商品化されたともいえます。

まとめ

今回は1971年に起こったニクソン・ショックについてご紹介させていただきました。実質的な金本位制の終わりといえる出来事であるニクソン・ショックは、現在の為替変動相場制への大きな転換点になる大きな出来事といえますね。

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