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金の作り方

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金は、掘り出された原石からいったいどのようにして、美しい金属へと仕上がるのでしょう。金を始めとして、金属の多くは「冶金(やきん)」という工程を経て金製品となります。あまり馴染みのない言葉ですので、具体的にどのような作業なのか分からない人も多いはずです。今回は冶金に触れながら金の制作に関してご紹介していきます。

冶金とは

冶金は「やきん」と読み、「冶」の字は「治める」という字とは異なります。冶金とは一般的に、金属を原料となる鉱石などから取り出し、実用できる状態にすることを指す言葉です。英語では「metallugy(メタラジー)」といい、「metal(金属)の取り扱い技術」ということになります。金だけでなく、鉄や銅、スズなど、金属は人類の歴史と不可分であり、冶金の技術も文明の発展に大きくかかわっていました。今日では金属を化学的な手法で抽出するのが主流で、こうした技術を「科学冶金」と呼ぶこともあります。

冶金と似た錬金という言葉もありますが、現実的な金属の製造技術である冶金に対し、しばしばファンタジーなどの題材となる錬金術はまったくの別物です。錬金術は、卑金属の物質と金などに変化させることを目的としていました。物質を他の物質に変換することは人類の能力では不可能でしたが、研究の過程で得られたさまざまな知見は、現代科学の基礎となったといわれています。

粉末冶金について

粉末冶金は、金属粉末を金型に入れて圧縮して固め、高温で焼結して部品を製造する技術です。聞きなれない方法かもしれませんが、例えば洋服についている金属製のボタンや、時計の金属バンドなど、私たちの生活の身近な製品に用いられている製造方法といえます。金型を用いて製造するため、小~中サイズの部品の大量生産に向いている技術です。

冶金の歴史について

中近東やバルカン半島の新石器時代人は紀元前約5000年から自然銅を溶融・鋳造することを知り、前約4000年から銅化合物を木炭とともに加熱すると金属銅が得られることを知った。前3000年ころメソポタミアで、錫(すず)石を木炭で被覆した溶融銅に加えると、石よりも硬くて粘り強い青銅ができることがみいだされ、中近東は青銅器時代に入った。鉄は前2000年までに近東各地で隕鉄(いんてつ)とともに製錬鉄が貴重品に使用され、前1200年以後東地中海地方から鉄器が青銅器にかわる武器、農・工具となっていった。中国では前2500年ころから銅器が現れ、前1600年ころから青銅器時代に入った。前600年ころから製鉄が始まり、鋳鉄製農具が普及した。前50年ころから武器も鉄鋼製となり、完全に鉄器時代に入った。後漢(ごかん)(8~265)の時代には、鋳鉄、錬鉄、鋼が各種の方法で量産され、水車送風、石炭が製鉄に利用された。

ローマ帝国(前27~476)には、錬鉄に浸炭して鋼とし、焼入れ硬化する技術があり、亜鉛鉱石を木炭被覆の溶融銅に加えて製造した黄銅が貨幣に用いられた。鉛板が水道管用として量産された。

中世の冶金

中世には水車の利用が冶金技術に変革をもたらした。中国では、唐~宋(そう)(618~1279)の時代に水車送風が金属製錬に用いられており、11世紀中期の金属年産量は銅8000トン、銀100トン、鉄4万トンに達したとみられる。ヨーロッパでは、民族大移動期(5~8世紀)中も各地で木炭炉による錬鉄生産は存続したが、9、10世紀から各地の非鉄金属(銅、銀、鉛、錫、黄銅)の生産が盛んになり、教会用品や農・工具が製作された。11、12世紀から、水車動力の冶金機械が使用されるようになった。15世紀にライン川下流地方の製鉄炉は、水車駆動のふいごで送風し、溶融鋳鉄を生産するようになった。高炉の始まりである。高炉は主として鋳鉄砲・砲弾の製造に用いられたが、余分の鋳鉄は木炭火床で脱炭して錬鉄がつくられた。

ハルツ、ザクセン地方では硫化銅鉱を焙焼(ばいしょう)し、溶鉱炉で数段階の還元溶錬工程により精銅を生産する銅製錬法(ドイツ法)が発達した。錫・鉛合金が広く用いられ、アンチモン、ビスマスの添加も行われるようになった。活字合金はこの系統の合金である。16世紀には、これらヨーロッパの製錬、試金、鋳造技術の詳細を記述した技術書の刊行が盛んになった。ビリングチオの『火工術(ピロテクニア)』(1540)、アグリコラの『デ・レ・メタリカ』(1556)などである。中国、宋応星(そうおうせい)の『天工開物』(1637)も冶金技術の記述が詳しい。17世紀末には、金属の燃焼・還元現象を合理的に説明するためフロギストン説が生まれ、18世紀初めレオミュールはこの説に基づいて、浸炭鋼、可鍛鋳鉄の本性と製造法を研究した。

金 インゴットの作り方

金インゴットの作り方には様々ありますが、近年では鉱山から金が取れる量も少なくなってきているため、スクラップから金インゴットを作ることも多くなっております。スクラップから作る際には、半導体などのスクラップが多く破棄されている都市鉱山から金を回収します。半導体には多くの金が含まれているため、都市鉱山からは多くの金を回収することが可能になるのです。回収した金は、付着している金以外の成分を含めて特殊な酸をかけて一度溶かします。金は溶けにくい性質を持つため、王酸を用いて溶かす必要があるのです。溶けた金に還元剤を入れることにより、金を再び固形の状態に戻します。

この時点では金はまだ不純物を多く含んだ状態ですので、ろ過を行う必要があります。ろ過し不純物を取り除き、純度の高い金を取り出す必要があるのです。ろ過を行った後に再度、金を王水で溶かします。溶かした後は同じく還元剤で固体の形状にする必要があります。そうすることで金の純度はより高いものにすることができるのです。その後、超高温で金を溶かし、粒状の金を生成します。粒状になった金を再度超高温で熱し、インゴットの鋳型に入れ成形します。このような工程を踏むことで、純度の非常に高い金インゴットを生成することが可能なのです。

製錬とは?

「製錬」とは、岩石などから金属を取り出すことに使う言葉です。金属類の中には合成的に作られるものも多くありますが、その場合も材料となる元はこの「製錬」によって取り出した天然の金属です。日本でも、かつては銀山や銅山と呼ばれる銀や銅を含んだ岩石が多く含まれる性質の山から、盛んにそれらの製錬が行われていた時代がありました。

精錬とは?

先の「製錬」によって取り出された金属には、天然のものだけに不純物も多く含まれています。そこで、この「精錬」を行うことで、銀や銅などの単一の(目的だった)物質にすることができます。可能な限り不純物を取り除くことで、その物質としての価値や評価が得られることになり、貴金属としての価値(相場)でも、純金や純銀(それぞれ純度が100%)と考えた価格が基本となっており、不純物が含まれるとその分価値が目減りしてしまいます。

例えば、純度925(92.5%)の銀は、純銀としての価値が1000円分なら、925円になるという具合で、よく聞く「18金」という表現は、純度75%の金のことです(金では「24金」が純度100%の表現になります)。

製錬と精錬の違いは?

天然の金属の採取には、まずはそれが含まれる岩石から「製錬」を行います。次にそれによって得た金属を「精錬」することで、目的の物質の純度が高められます。読み方が共に「せいれん」なので、どちらがどちらかのか分からなくなってしまうことも多いと思われますが、これらはきちんと使い分けないといけません。

錬金術とは

錬金術の歴史は古く、紀元前の古代ギリシアや古代エジプトまでさかのぼります。こういった研究と実験の記録は各地に残っていて、その中には「金に別の金属を加えることで金を増量させる方法」などもありました。もちろんこの方法には何の根拠もなく、生成物が本物の金であることの証拠はありません。もしかしたら当時の人々はこれが本物の金になったと本気で思っていた人もいるかもしれませんが、このように記された錬金術はニセモノだったと言わざるを得ませんでした。卑金属というものは容易に酸化してしまう金属を指します。つまりさびやすい金属、銅や鉄のことですね。私たちの生活の中では、複数の金属を組み合わせて加工した合金としてよく使われています。

一方で金やプラチナ(白金)、銀のようなものはさびにくく、結婚指輪のような直接肌に触れる(水に濡れやすく皮脂で汚れやすい=本来であればさびやすいはずの)アクセサリーにも用いられていますね。卑金属は貴金属に比べて安価であり、希少価値はそれほどないでしょう。そこで考えられたのが錬金術です。

まとめ

金ははるか昔から人々に愛され、冶金の発展とともに、様々な姿をみせてくれています。「買取大吉」では金・貴金属の買取を強化しております。ご不要の金などがございましたら、是非一度ご相談ください。

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