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ゴールドラッシュがアメリカにもたらした「悲劇」と「幸運」

607_ゴールド ラッシュ 悲劇

19世紀の半ばに、アメリカのカリフォルニアで起きたゴールドラッシュをご存じでしょうか。金鉱が発見されると、世界中から人々が金を求めて一斉に移動する現象を指します。では、採掘者たちが夢みたゴールドラッシュとは、そもそも何だったのでしょうか。

はじめに

皆さんは「ゴールドラッシュ」をご存知ですか。言葉は聞いたことがあるけど、実は詳しいことは知らない…という方が多いのではないでしょうか。

言葉の意味としてのゴールドラッシュとは、「一攫千金を狙う採掘者が、新しく金が発見された土地へ金脈を探し当てて殺到すること」です。ゴールドラッシュはアメリカで起きたことが有名ですが、実はゴールドラッシュってアメリカだけで起きたことではないのです。

オーストラリア、ニュージーランド、カナダ、チリ、ブラジル等々、いくつかの国で一攫千金を狙う採掘者が、新しく金が発見された土地へ金脈を探し当てて殺到したのです。

世間一般的に語られるゴールドラッシュとは、19世紀の半ばにアメリカのカリフォルニアで起きたゴールドラッシュを指します。

そして歴史として語られるゴールドラッシュは、今の時代に何を残したのか?そのようなゴールドラッシュについて解説していきたいと思います。

カリフォルニアで起きたゴールドラッシュとは何だったのか?

アメリカのサンフランシスコという街は、世界中でもトップクラスのメガシティーとして知られており、アメリカ西海岸の政治・経済・文化・スポーツ等の中心都市であります。

ゴールドラッシュによりメガシティーとなったサンフランシスコ

そんなメガシティーであるサンフランシスコ、実はゴールドラッシュ以前は人口がたったの100人ほどの小さな小さな村だったのです。カリフォルニア全体で考えても2万人いるかいないかの時代です。今から180年ほど前…日本で云うと「天保の改革」や「大塩平八郎の乱」、ペリーが黒船に乗って浦賀沖にやってきた頃のことです。

裏を返せばサンフランシスコという街は、たったの180年の間に人口100人から世界有数のメガシティーに成長したのです。 そのサンフランシスコがメガシティに成長する礎となったのが、カリフォルニア・ゴールドラッシュです。

金が初めて見つかったのは1848年

カリフォルニアで金が初めて見つかったのは1848年のことです。ニュージャージー州出身のジェームズ・ウィルソン・マーシャルさんという大工さんが、仕事で水車用の水路を掘って作っていた時に発見しました。

19世紀半ばは今のように情報が瞬時に世界中に知れ渡るということはありませんでしたが、それでも金が発見されたというニュースは驚くべきスピードで世界中に知れ渡ることになりました。

そのニュースを聞いた人たち...カリフォルニアの近くに住んでいた人やアメリカ国内に住んでいた人はもちろん、海外からもたくさんの一攫千金を狙う採掘者が、文字通りの「アメリカンドリーム」を夢見て殺到したのです。

中国からの採掘者

意外な話かもしれませんが、中国から多くの人がカリフォルニアに渡りました。

当時の中国は「清」という国で、イギリスとのアヘン戦争に負けたばかりの時期でした。

疲弊した国内に希望が見い出せなかった中国の人の中には、遠い異国の地で見つかった金に夢を抱いて太平洋を渡ったと言われています。

採掘者向けのサービスを提供

そのように世界中から夢を抱いて多くの人がカリフォルニア・サンフランシスコにやってきました。その中にはもちろん、自分自身が金脈を掘り当てて一攫千金を夢見ている人もいます。

しかし、一攫千金を夢見ている人達に「衣食住」等のサービスを提供しようと考えてやってきた人も多くいました。商人や鍛冶屋などの職人、ホテル、銀行、弁護士など様々な人がやってきました。

ゴールドラッシュがもたらした「プラス」

世界中から様々な人たちが短期間のうちに集まってきたことによって、カリフォルニアやサンフランシスコは急速に発展していきます。道路が整備され、線路が敷かれ、小さな港は大きな港へ変わりました。

1848年頃には2万人いるかいないかだったカリフォルニアの人口は、次の年には10万人、1852年には25万人と急増します。

ゴールドラッシュのピークが過ぎた後も街は急速に進化していきました。現在のカリフォルニアやサンフランシスコの基礎はこの頃に形成されたと言っても過言ではないでしょう。

ゴールドラッシュがもたらした「悲劇」

何もなかった場所に様々な人たちがやってきてカリフォルニアやサンフランシスコを形成していった…と聞くと良いことかもしれません。

しかしゴールドラッシュがもたらしたのはプラスの面ばかりではありませんでした。まず可哀相なのは、ジョン・サッターさんという植民者とその家族です。

植民者ジョン・サッターとその家族たち

ジョン・サッターさんは何者かというと、先述したジェームズ・ウィルソン・マーシャルさんという大工さんの「雇い主」です。

サッターさんは農園を営んでおり、その農園で働いていたマーシャルさんが金を見つけました。サッターさんは金を見つけに多くの人が来たら、自分の農園が荒らされるかもしれないと心配しました。

そこでマーシャルさんに金を見つけたことを内緒にしておいてほしいと頼みました。しかし秘密はすぐに漏れました。

当時のカリフォルニアは西部劇さながらの「無法地帯」です。土地の所有権もなにもあったようなものではありませんでした。サッターさんが築き上げてきた農園と財産は、一攫千金を狙う採掘者によって踏み潰されてしまいました。

一攫千金を狙う採掘者たちの横暴

かわいそうなのはサッターさんだけではありません。太古よりその地に住んでいた先住民族達も、一攫千金を狙う採掘者によって住むところを追いやられてしまいました。追いやられた先住民族が逆に採掘者を殺すような、無法地帯のカリフォルニアではそのようなことが日常茶飯事だったようです。

ゴールドラッシュの影響で絶滅してしまった先住民族もいるほど、多くの先住民族が命を落としたと言われています。悲劇を襲ったのは人間だけではありません。金の採掘が進んだことによって、周辺の川や湖や海が汚染されてしまいました。

多くの人生を翻弄したゴールドラッシュ

実際にゴールドラッシュで金を手にし、文字通りのアメリカンドリームを手にした人はほんの僅かだと言われています。

アメリカンドリームの側面よりも、以前は何もなかったカリフォルニアやサンフランシスコが確固たる地位を形成できたのは紛れもなくゴールドラッシュの影響でしょう。

まとめ

ゴールドラッシュの「光と影」をご紹介しましたが、いかがでしたでしょうか。ゴールドラッシュは、短期間に急激な経済成長をもたらす一方で、多くの人々が厳しい環境や労働条件に直面し、成功を収めるのは一握りの人々でした。

さらに、先住民の土地が侵害されるなどの、さまざまな社会的問題も引き起こしました。多くの人生を翻弄してきたゴールドラッシュ、金の魅力は今も昔も変わらず非常に強いと言えるでしょう。

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