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砂金とは
砂金とは砂状に細粒化した自然の金です。金鉱脈が川の浸食作用などで崩れ、川に流された後川岸に溜まったり、河口に流れ着いたものなのです。
採取方法は比較的カンタン
大がかりな選鉱施設が不要で採取方法が簡単であることから、古くから個人単位での採取が行われてきました。
金の採掘はもともと川で行われていた砂金採取が徐々に上流へと進んで、やがて山で金鉱脈の採掘が行われるようになったともいわれています。
現代では砂金取りを体験できる施設が各地で営業しているほか、一部の河川では今でも実際に砂金を採取することが可能です。
しかし、アマゾン川流域などではアマルガム法による採取が行われており、河川の深刻な水銀汚染を引き起こしています。
採掘方法
上流に金鉱山が存在していた等の砂金が出そうな川に目星をつけ、上~中流域の砂がたまりやすい中州や屈曲部の内側に堆積する層を探します。
鍬などで砂を掘り起こし、揺り板やパンニング皿(ゴールドパンもしくは代用品)の中で流水で洗いながら砂金を選別します。
金は比重が砂礫よりかなり大きいので、時間を掛けて丹念に洗い流せば素人でも採取が可能です。ただし、熟練者でも1日がかりで得られる金の量はわずかでしょう。
労働時間と収益を見比べると多くは最低賃金を大きく下回る結果に終わることが多いのです。
アメリカにおけるゴールドラッシュ
まず、日本の砂金採りについて考える前に、その比較としてアメリカ合衆国における砂金採りの事情について取り上げましょう。
アメリカでの「ゴールドラッシュ」
みなさんも「ゴールドラッシュ」という言葉を一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。これは19世紀にアメリカ合衆国のカリフォルニア州で金鉱が見つかったことを発端です。
その金を採掘しようとかなりの大人数の人々が世界中から殺到した社会現象のことを指します。
当時、金鉱が発見されたカリフォルニア州には一攫千金を夢見て30万人もの人々が集まったといわれています。
もともと数百人規模の開拓村だったカリフォルニアにこのゴールドラッシュによって人々が集まるようになると、そこには様々な産業が成立するようになっていきました。
砂金採りにまつわる産業
金を採掘する人に対してスコップやツルハシ、バケツなどの砂金採りのための道具を販売することや、採掘された金を交換取引するための取引所や道路、教会、学校などの社会的インフラも整備されました。
このゴールドラッシュを契機として、カリフォルニア州の様々な場所で大小様々な街が形成されていった。
このゴールドラッシュは20世紀に入ると下火になっていくが、実際に金の採掘によって莫大な資産を築き上げることができた人はほんの一握りだったといわれています。
ゴールドラッシュがアメリカ社会に与えた影響
しかし、このゴールドラッシュがアメリカ社会に与えた影響は非常に大きなものがあります。日本とは違って、現在のアメリカ合衆国では砂金を採ることを事業にしています。
それに準じる形で、一般の人人々が砂金採りを趣味として楽しんだりする文化が定着しています。
例えば、「パンニング皿」や「スルースボックス」といった砂金採り専用の道具はアメリカ製ですが、これはかつてゴールドラッシュという社会的な現象が発生しました。
砂金採りが産業として広がっていく中で様々な道具が開発されて発達してきたことのあらわれだといえるでしょう。
日本における砂金採りの文化と歴史
アメリカ合衆国におけるゴールドラッシュと規模こそ違うものの、日本でもゴールドラッシュとよばれる現象はいくつか発生しています。
日本での「ゴールドラッシュ」
日本の「ゴールドラッシュ」として有名なものは、明治期の北海道に砂金を求めて人々が集まったことが挙げられます。
ただし、日本では古来から川で砂金が採れるという事実は知られていたものの、その情報や砂金の採り方についてはごく一部の人によって秘匿・独占されるという形が続いていきました。
砂金採りの道具
例えば、今でこそ私たちはパンニング皿というものを使って砂金採りをするが、日本においてもそれと似たような「揺り板」や「揺り盆」といった砂金採りをするための道具が存在しています。
この揺り板は、木でできた長方形のお盆のようなもので、砂金採りを専門とする職人が手作業で作る砂金採り専用の道具の一つです。
日本ではこの揺り板を使って砂金採りを行うが、その使い方についてもかなりの熟練を要するもので、砂金採りはまさに職人技としてごく限られた人々の間でのみ、その技術とともに引き継がれてきたという歴史があります。
日本での砂金採りが歴史的に秘匿されてきた理由
さて、日本の歴史の中で砂金採りが秘匿されてきた理由としてはいくつかの要因があると考えられます。まず、これは金だけの話ではありません。
為政者たちの思惑
重鉱物の発掘とその鋳造技術は、そのまま刀剣などの軍事的な技術や、貨幣の流通などにつながっていきます。そのため日本の為政者が、その採り方などについて、一般の人達にオープンにしなかったことが挙げられます。
実際、日本の歴史の中で重鉱物の開発の歴史を見ていくと、金・銀・銅・鉄などの重鉱物の鉱脈の場所を探り当て、その鉱山の開発を生業とする「丹生一族」といわれる人々の存在も指摘できます。
砂金そのものが貨幣的価値をもつ
また、もっとも大きな要因としては、やはり砂金そのものが貨幣的価値をもっていることです。たとえ砂金の出る場所や採掘の事実があったとしても、それを周囲に安易に知らせるこはなかったでしょう。
ただ、このような職人技を持っている人々は今ではかなり少なくなっており、そこで培われた専門技術や砂金が採れる場所などの情報についても次第に失われつつあります。
まとめ
以上のように、日本では砂金採りに関する知識や技術は、広く一般の人々が知り得るような形ではありませんでした。ごく少数の職人集団の中だけで共有され、受け継がれる文化が成立したと考えられます。
日本では砂金採りの道具が自作であることに加えて、それを職人技で砂金を採っていました。時が流れてその人がいなくなってしまうと、砂金を採っていた場所やその方法などに関する、砂金採りの事実そのものが失われてしまったのです。
日本の砂金採りの未来が危惧されると考えるのが現状でしょう。