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江戸時代の通貨や貨幣制度についてご紹介します

158_江戸 時代 通貨

江戸幕府以前は、「石高制(こくだかせい)」が経済の土台を支えていました。石高制とは、お米を幕藩体制の礎とするシステムです。これが江戸時代を機に改革され、貨幣を統一して流通させました。今回はそんな日本経済に大きな変革を与えた江戸時代の貨幣制度やそこで用いられた通貨についてご紹介していきます。

三貨制度とは

江戸時代における日本の貨幣制度には、「三貨制度」が用いられました。徳川家康が豊臣秀吉に代わり天下を取った後、バラバラだった貨幣をまとめ、全国統一の貨幣制度に整備しました。この制度では金・銀・銅の3種の金属で鋳造された貨幣が使用されました。これが「三貨」の由来です。

金・銀・銅でそれぞれ別の貨幣が鋳造されました

金貨には「大判」「小判」「一分金(いちぶきん)」があり、銀貨には「丁銀(ちょうぎん)」「豆板銀(まめいたぎん)」がありました。そして、三代将軍の家光の時代には「一文銭(いちもんせん)」などの銅貨(銭貨)の鋳造が始まりました。

当時の金貨の製造機関は「金座」、銀貨の製造機関は「銀座」と呼ばれていました。金座は江戸、京都、駿府(現在の静岡)、佐渡などに、銀座は江戸、京都伏見、駿府などにそれぞれ置かれていました。その中でも東京にある「銀座」という地名は、この時代の銀貨の製造所に由来しています。

江戸時代の貨幣制度は世界でもかなり特殊

江戸時代の貨幣制度は独特で、金・銀・銅という3種類の貨幣の制度が全く異なるものでした。また、金と銀の交換割合も日々変動しており、計算には4進法が用いられました。金貨の単位には「両(りょう)」「分(ぶ)」「朱(しゅ)」があり、銀貨の単位には「貫(かん)」「匁(もんめ)」「分(ふん)」が使われましたが、重さで価値を測る特徴もありました(例:銀貨の重さ10分が1匁、重さ10000匁が1貫)。このため、購入するものによって金・銀・銅が使い分けられ、計算も複雑でした。

銀行の代わりに「両替商」が発達した

江戸時代には、特殊な貨幣制度が存在しました。貨幣の交換割合が日々変化するこの制度に加え、高額な取引においては関東地方では「金」を、関西地方では「銀」を使用する独特の風習があったため、当時の人々は買い物や取引において常に計算に苦労していたとされています。そこで登場したのが「両替商」と呼ばれる商人たちです。

両替商は文字通り、金貨・銀貨・銅貨の交換を専門とする商人であり、経済活動が活発化するにつれて巨大な富を築いていきました。その後、彼らは両替だけでなく、人々からお金を預かったり、貸し付けたり、遠隔地への送金を手配したりするなど、今でいう銀行に似た役割を果たすようになりました。特に鴻池、三井、住友といった両替商は非常に有名でした。その後、三井、住友は大手銀行グループへと発展していき、現在でも有名な銀行となっています。

江戸時代の貨幣の質

江戸時代につくられた貨幣は、世界的に見ても大変質が高かったと言われています。これは、当時の金座・銀座による徹底した品質管理や、鋳造技術の高さ故です。また、試金石を用いた品位の測定などの技術も、当時の両替商たちの間で確立されていたため、質の低い貨幣はほとんど出回らなかったといわれています。

しかし、江戸幕府の財政が苦しくなり、貨幣の材料となる貴金属が不足するようになると、金や銀の質を落とした貨幣がつくられるようになりました。しかし、江戸時代の貨幣制度は質などによって、金と銀の交換割合も日々変動していたため、その価値も下がるようになりました。質を落とした貨幣を次々と発行した結果、幕末期にはインフレが発生。当時の人々の生活をたいそう苦しめたといいます。

江戸時代のお金を現代の価値で表すとどのくらい?

江戸時代のお金を現代の価値に換算することは多くの研究者によって試みられていますが、正確な値を産出するのは難しいといわれています。これは、当時の経済が著しく変化していたのに加え、貨幣の価値もその製造時期によって大きく変動していたからです。また、通貨間の換算レートが日々変動するだけでなく、物価自体が現代とは異なっていたため、単純な置き換えも難しいといえます。そのようなことが重なり、研究を複雑にしています。

一応の目安として一般的には、1両がおおよそ4万円の価値に相当したとされます。そのため、1分が1万円、朱が2,500円と推定されますが、時期によって最大で8万円ほどの価値に高騰したこともありました。このように、経済が安定しない時代であったため、その価値を一概に置き換えることは難しいのです。実際にさまざまな文献を参照しても、両の価値がまちまちで掲載されていることが多く見られます。これは江戸時代が独特な経済だった事を物語る証拠と言えるでしょう。

まとめ

今回は江戸時代の貨幣制度「三貨制度」についてご紹介しました。江戸時代は日本経済が発展していくために、とても重要な期間であったといえます。実際、上述した三井・住友をはじめ、昭和初期まで力を振るっていた日本の財閥の多くは江戸時代に誕生しています。そんな三貨制度を支えた古銭は、経年劣化や贋作が多く、査定が難しい品目になります。

しかし、「買取大吉」であれば査定可能です。経験豊富な査定員が歴史的な価値や希少性も踏まえてしっかりと査定いたします。ご査定・ご相談は無料で行っております。ぜひ、お近くの「買取大吉」各店までご来店ください。

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