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ダイヤモンドの価格はなぜそんなに高いのか

1239_ダイヤモンド 価格 今後

皆さんはダイヤモンドと聞いてどういうものをイメージしますか?パッと浮かぶのは結婚指輪にセットされた眩く輝く貴石、高嶺の花、高級品、そんなイメージではないでしょうか。実はこういったイメージはダイヤモンド産業において大きな存在であるデビアス社によって巧みに築き上げられたものなのです。

ダイヤモンドの価値を高めたデビアス社

デビアス(De Beers)社はダイヤモンド産業において最大手の企業です。ダイヤモンドの歴史は、このデビアス社と創業者であるセシル・ローズ(Cecil Rhodes)の歴史と結びついていると言えます。1853年生まれのセシル・ローズは、若いころから身体はあまり強くはありませんでした。そのためオックスフォード大学の学生であった彼は、1870 年、喘息を治療するために研究を中断し、南アフリカにいる兄弟のもとへ身を寄せます。

この頃、南アフリカのキンバリーはダイヤモンドの街になりました。ビジネス手腕に長けたセシル・ローズはまず、鉱山労働者に向けて食料や日用品を販売します。そうして得た利益によって、彼は徐々に土地の利権を購入し、デビアス鉱業会社(De Beers Mining Company)を設立します。1885年にはほとんどすべてのキンバリーの土地が彼のものになりました。1888年、多くの交渉の後、彼は自分の会社をこの地域で唯一のライバルであるバーニー・バーナートの会社と合併し、英国南アフリカ会社(BSAC)を設立します。南アフリカでのダイヤモンド貿易を独占しました。

アフリカにおける西洋列強の帝国主義

また、セシル・ローズはビジネスマンであるだけでなく、植民地化をすすめ帝国主義を推進した政治家でもありました。19世紀、アフリカは大国間の競争の場となりました。この大陸の征服は、フランス、イギリス、ドイツ、および他のヨーロッパ諸国の間の軍事的、戦略的、商業的競争を反映したものでした。16世紀頃からイギリスは、貿易によって国力をつけていきました。17世紀、イギリス人は海外植民地との貿易を利用して、最大の自由貿易圏を作り、紅茶、コーヒー、タバコ、砂糖などの輸入品の貿易によるサイクルを構築しました。

植民地との貿易は、イギリスにとって国力向上に欠かせないもので、当時の他の大国に対しても優位性を持っていました。したがって、イギリスはインドにとどまらず、アフリカにおいても植民地の開拓を進めました。植民地の管理は常に王室の直接の代表者に委ねられていたわけではなく、セシル・ローズは南アフリカ・ケープにおいてケープ植民地首相を務めました。ヴィクトリア女王は彼に「王室勅許」を与え、これらの土地を管理する権限を与えます。これは、鉱業権の経済的管理以上の意味があり、セシル・ローズに領土のほぼ主権的な支配権を与えました。

このようにして、イギリス王室の後ろ盾をもって彼は市場を独占管理します。イギリス政府に権限を与えられた英国南アフリカ会社は軍隊を編成し、イギリス軍の助けを借りて、現ジンバブエにあたるエリアを強行的に併合し、自身の名前を冠したローデシアと名付けます。ローデシアの存在は、オランダ系移民(ボーア人)のトランスヴァール共和国にある金鉱山を奪取するための足掛かり的な意味がありました。そこでセシル・ローズは1895年、ローデシアの行政官ジェームソンと武装した私兵をトランスヴァール共和国に侵入させますが失敗し、セシル・ローズは植民地相の地位を追われることとなります。

デビアス社がダイヤモンドの価値をつくりあげた

このように南アフリカにおけるダイヤモンド鉱山を牛耳ったデビアス社は、ブランド戦略においても巧みでした。現在世界に浸透しているダイヤモンドの価値はデビアス社によるブランディングの賜物です。デビアス社の礎を築いたセシル・ローズは1902年に死去しますが、彼亡き後ダイヤモンド帝国としてデビアス社を繁栄させるキーパーソンが、アーネスト・オッペンハイマーです。彼は鉱山開発を行なうアングロ・アメリカンの社長でありましたが、デビアス社の筆頭株主となり、デビアスを子会社化します。オッペンハイマーがデビアスの舵取りを行う20世紀初頭は、19世紀末の鉱山ラッシュにより、ダイヤモンドの生産量は激増し、市場でダイヤモンドがあふれることになりました。そうして供給が需要を上回り、ダイヤモンドの価格が下がった状況を改善するため、オッペンハイマーはダイヤモンドの流通を掌握し流通量をコントロールしました。そうしてダイヤモンドの価値を回復させます。

また、ダイヤモンド=結婚指輪としての立ち位置を確固たるものにしたのも、デビアス社による戦略です。デビアス社はロマンス映画や映画のラブシーンにダイヤモンドを登場させるよう協賛ししたり、セレブリティに着用してもらい、華やかで憧憬をかきたてるような演出を行います。また「A Diamond is Forever(ダイヤモンドは永遠に)」というダイヤモンドと永遠の愛を結びつけたキャッチコピーは世界中を駆け巡り、ダイヤモンドは結婚指輪としてこの上ない宝石というイメージを決定的なものにしました。また、「結婚指輪は給料の3か月分」という言葉もデビアス社のキャッチコピーによるものといわれています。

最後に

このようにダイヤモンドはデビアス社によって、現在のような高い価値が形作られたといっても過言ではありません。しかし、世界中でダイヤモンドがさかんに採掘されてきたため、いまでは枯渇してしまった主要な鉱床も少なくありません。逆にあらたな鉱床が見つかることもありますが、新たな鉱床は発見しづらい環境にある場合が多いため、鉱床の開発費用もかさんでしまいます。こうしたダイヤモンドの生産量減少の可能性は、ダイヤモンドの希少性を高めることとなり、デビアス社のマーケティングとは関係のないところでも今後のダイヤモンドの価格高騰を招く可能性もあります。

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