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GOYARD(ゴヤール)の価値

1887_ゴヤールなぜ高い

ゴヤールは、Y字をだまし絵のようにつなぎ合わせた柄がアイコニックなフランスのブランドです。一目でゴヤールとわかる柄はSNS映えがよく、最近ますます人気が高まっています。決して安くないゴヤールですが、なぜ人気があるのでしょうか?そんなゴヤールの歴史と魅力に迫ります。

ゴヤールの歴史:ゴヤールの原点、マルタン家

1792年ピエール=フランソワ・マルタンが、「荷造り用木箱・梱包用品製造および荷造り」に特化した会社を設立しました。トランクメーカーの時代はまだ始まっておらず、この商売は容器の製造とともに、衣類をたたむことまでも手掛けていました。当時の看板にはこう書かれていました。

"箱の詰め合わせ、家具や壊れやすいもの、洋服やドレス、花などを油紙やキャンバスやわらで安全に包装します。牛革トランクや衣紋掛けから蠟引き紙や防水布まで製造しており、すべて適正価格で提供します。"

その評価は年々高まり、「ベリー公爵夫人マリー・カロリーヌ・ド・ブルボン・シシル妃殿下御用達」を担っていました。

子供のいないマルタンには、後見人のポリーヌ・ムタがおり、彼女に家を与え、ポリーヌは1840年にスタッフの一人のルイ=アンリ・モレルと結婚します。こうしてモレルは先代の跡を継ぎました。その後ルイ・アンリ・モレルは、1845年に雇った17歳の若き弟子、フランソワ・ゴヤールにノウハウを伝授しました。ピエール・フランソワ・マルタンとルイ・アンリ・モレルの二人の指導のもと、フランソワ・ゴヤールは見習いとして模範的な教育を受けます。

メゾン ゴヤール

1852年にルイ=アンリ・モレルが急死すると、フランソワ・ゴヤールが後を継ぎ、1853年にゴヤールのブランドとなりました。32年間、フランソワは会社のトップに君臨し、会社を発展させ続けたのです。

エドモンド・ゴヤール、革新者

1885年4月1日、フランソワは会社を、当時25歳だった長男のエドモンドに譲ります。エドモンド・ゴヤールは、父親の仕事を土台に、サントノーレ通りの路面店を、洗練された個性と国際的な顧客を持つ施設へと変貌させました。最初の広告を作り、万国博覧会に参加し、モンテカルロ、ビアリッツ、ボルドーに支店を、ニューヨークとロンドンにオフィスを開設し、名門コーチビルダー「ランス・アンド・アウシャー社」と手を組んで自動車製品の開発を行いました。

また1890年代、ゴヤールは犬用のアクセサリーの提供を開始しました。散歩用のお洋服や、ブーツ、首輪、リード、当時流行のドライビングゴーグルまで、さらにこれらのアイテムすべてを収納できるトランクが提供されました。その成功はめざましく、ベル・エポックのパリでは、ピエール・ファリーズ、ミッシュ、ベンジャミン・ラビエといった当時最高のイラストレーターが署名したウィットに富んだ広告で、「最もスタイリッシュな犬の服はゴヤール」と宣言されました。犬だけではなく、猫にはブラッシングキットやバッグを、猿にはアクセサリーが用意されました。

白い家から冬の宮殿まで。世界の御用達

ゴヤールの優れた技術と創造性は、さまざまな宮廷や大統領府の御用達としての地位を確立しました。イギリス王室やアメリカ合衆国大統領、ロシア帝国までもが顧客に名を連ねていました。

その後、20世紀を通じて、多くの著名人、芸術家、産業界の大物、国家元首などがゴヤールを愛用しました。パブロ・ピカソやジャック・カルティエ、ロックフェラー家、ロマノフ家とグリマルディ家、ココ・シャネルや、エディット・ピアフ、クリストバル・バレンシアガなどなど枚挙に暇がありません。

ゴヤールディン、アイコンたるキャンバス。

革新的で先見の明のあるエドモンド・ゴヤールは、ゴヤールディンと名付けることになる、ゴヤール家のアレゴリーとして構想したキャンバスをデザインします。このドット柄は、彼の祖先であるパリのコンパニオン・ド・リヴィエールが運んだ水路に沿って浮かぶ無数の丸太からインスピレーションを得たもので、3つの杉綾状に配置され、ゴヤールの名前の中心文字である「Y」の連なりを形成しています。

エドモンド・ゴヤールは、Y字の3つの線を使ってキャンバスにサインをしました。ブランド名をキャンバスに取り入れたのは、パリのトランクメーカーとしては初めてでした。

万国博覧会

1900年、エドモンド・ゴヤールはパリ万国博覧会に参加しました。当時、有名企業としては考えられない行動でした。ミラノ万国博覧会(1906年)で金メダル、ロンドン英仏博覧会(1908年)で金メダル、ブリュッセル万国博覧会(1910年)で名誉賞、ロンドン英蘭博覧会(1912年)で大賞、ヘント博覧会(1913年)でトリプルグランプリを受賞した。ゴヤールは、サンフランシスコのパナマ太平洋国際博覧会(1915年、無競争)、ストラスブール博覧会(1919年、エドモンド・ゴヤールは審査員)、パリの近代装飾・産業美術国際博覧会(1925年、名誉学位)にも参加しています。

フランチラグジュアリーの中心的存在

ロベール・ゴヤールは、隣人で友人のシャルル・リッツ、ルイ・ブシュロンとともに、ヴァンドーム協会の創設メンバーの一人です。ヴァンドーム協会は、その後、フランスのラグジュアリー産業が発展する上で、重要な役割を果たすことになります。

顧客名簿

19世紀から20世紀にかけてのゴヤールの顧客全員の名前が、ゴヤールが注文ごとに記録している厚紙のカードに記録されているのです。それはゴヤールがお客様との間に築いた永遠の絆を象徴しています。1939年にウィンザー公爵夫妻が初めて注文した際に作成され、生涯開かれ続けたカードや、1972年に開かれ、2019年に悲みとともに閉じられたメゾンの大親友、カール・ラガーフェルドのカードなど、数十年にわたりページが開かれているものも珍しくはないのだそうです。

ジャン=ミシェル・シニョル

1974、レ・アルのアンティークショップで、ジャン=ミシェル・シニョルが初めてゴヤールのトランクを発見します。そして、その歴史や価値観を知り、最も優れた作品を収集するようになったのです。そして1998年、ジャン=ミッシェル・シニョールがゴヤールを引き継ぎます。

サントノーレ通りの遺産を復活させ、ノウハウを復活させ、新しい工房を開き、ヨーロッパ、アメリカ、アジアに販売店をオープンしたのです。この10年間で、彼はメゾンの名声と影響力を回復させ、タイムレスでオーセンティックな創造力で世界を魅了し、現代のマーケティングや大量生産とは一線を画すメゾンとなったのです。

ゴヤールの価値

このように200年以上の歴史を誇るゴヤールは、長年にわたり培われた技術と数多の王室が御用達とするほどの揺るぎない信頼を築いてきました。そして、アイコニックなキャンバス地「ゴヤールディン」はにゴムコーティングが施されています。天然皮革ではないので、雨の日にも使えて汚れにも強いのです。また高い技術力で製作されたプロダクトは、耐久性も抜群で長い間使用することができます。

そんなゴヤール、新品で手に入れようにもなかなか高くて買えないということもあります。そんなときは中古市場で見つけてみるというのもアリかもしれません。また、ゴヤールは近年非常に人気があるため、高額で買取してもらえるブランドです。「買取大吉」ではプロの鑑定士が多数在籍しており、鑑定士が親切丁寧に高額査定をいたします。査定は無料で出来ますのでお気軽にご来店ください。

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