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エルメス「ケリー」、「バーキン」の歴史と由来

1355_バーキン 由来

誰もが憧れるハンドバッグの二大巨塔と言える「バーキン」と「ケリー」。この二つはエルメスの名作バッグですが、それぞれ名前に由来するミューズとの親密なエピソードがあります。この記事ではこれらのバッグの誕生エピソードをエルメスの歴史も交えつつ紹介いたします。

エルメスの歴史

エルメスは1837年、ティエリー・エルメスがパリ・マドレーヌ寺院周辺に構えた、高級馬具工房がブランドのルーツです。ティエリー・エルメスの馬具は、上質かつ品のあるデザインで世界的に知られていて、ニコライ二世などの王侯貴族も顧客に名を連ねました。1880年、現在エルメス本社のあるフォーブール・サン=トノレに拠点を移動します。二代目エミールは先見の明がある人物で、人が馬で移動する時代は終わることを察知していました。

この時代はちょうど産業革命によって近代化が進んだ時代で、鉄道や自動車、船などの交通機関が技術的に大きく発展していました。その為、彼は馬具製造で培った技術やノウハウを、新たな商品開発に応用しました。1892年にはエルメス初のバッグ「オータクロア」を生み出します。これは乗馬用の馬具やブーツをしまうことができるバッグとして作られましたが、大容量のバッグなので、旅行用としても使うことが出来ました。

また20世紀初頭には車の幌に使われていたジッパーをバッグに応用して、世界で初めてジッパーを開閉機構としたバッグ「ボリード」を開発します。ジッパー開閉はバッグを完全に閉めることができるため、安全面で高い信頼性がありました。その後もエルメスはバッグに限らず、近代化に伴う新たな生活様式に寄り添う様々な製品を展開していきます。それらには、服飾品やアクセサリー、時計などがありました。エルメスを象徴するシルクスカーフ「カレ」は1937年に登場します。

戦後、エルメスは高度経済成長の波に乗ってアジアなどに大きく進出していきます。銀座に聳えるメゾンエルメスはそんな、日本とエルメスのフラテルニテ(友愛)のシンボルともいえるでしょう。また、エルメスのメゾンを象徴する色である“オレンジ”が、ブランドの色として定着したのも第二次世界大戦後の話です。もともと、エルメスのパッケージカラーは栗色やベージュに近い色でした。

しかし第二次世界大戦中、物資が不足していた状況でブランドカラーの包装紙を確保することができませんでした。唯一あった色がオレンジ色であったためにやむを得ず使ったところ、思いのほか顧客に好評であったため、オレンジ色がメゾンのイメージカラーとなったのです。また1951年には名調香師エドモン・ルドニツカによるEau d’Hermèsが発売され、嗅覚によっても、ブランドのエスプリを感じることができるようになりました。

1967年にはウィメンズのプレタポルテ(既製服)のコレクションがスタートします。エルメスのプレタポルテはカトリーヌ・ドゥ・カロリにはじまり、マルタン・マルジェラやジャンポール・ゴルチエ、クリストフ・ルメールなど、時代のモードを形作ってきたカリスマデザイナー達がデザインを手掛けており、現在はナデージュ・ヴァネ=シビュルスキーがアーティスティック・ディレクターに着任しています。一方メンズプレタポルテに関しては、30年以上もヴェロニク・ニシャニアンがタイムレスなエレガンスを紡いでいます。

ケリー

ケリーはもともと、エルメス3代目社長であるロベール・デュマが、1930年代にデザインしたバッグです。しかし、発売当初は「ル・トルペード」という名前でした。台形のフォルムは、エレガントかつコンパクトであるうえに、自動車が普及した当時、車に乗り込むにもトランクにいれるにも収まりがいいという機能的なデザインでした。その後、改良が施され、カットはよりエレガントに、フラップにはカデナ(南京錠)が備え付けられ、このバッグの持ち主となる女性への、細やかな気遣いともいえるバージョンアップでした。

そして1954年、このバッグの運命を大きく変える出会いが訪れます。アルフレッド・ヒッチコック監督の映画「泥棒成金」の撮影用の衣装を探しにエルメスにきた撮影チームに女優グレース・ケリーがいました。この時グレース・ケリーはたちまちエルメスのクリエーションの虜となります。その後モナコ公妃となった彼女は、飛行機から降りるところをパパラッチされた際、妊娠中の大きくなったお腹をとっさにハンドバッグで隠します。そうしてこのバッグが世界の注目の的となったことから、「ケリー」の名を拝命することになったのです。

バーキン

バーキンの物語は1984年まで遡ります。パリ―ロンドン間を飛ぶ飛行機の中で、歌手で女優のジェーン・バーキンが手帳を落としてしまいます。その手帳を拾いながら、「もっと収納力のあるバッグが必要ですね」と彼女に話しかけたのが当時のエルメス社長ジャン=ルイ・デュマでした。ジェーン・バーキンは彼に「ケリーの四倍くらい収納力のあるバッグがないものかしら」と呟き、彼女の理想とするバッグの簡単なスケッチを描いてみせます。

そうするとジャン=ルイ・デュマはこのジェーンの理想のバッグを形にして、このバッグの生みの親であるジェーン・バーキンにオマージュを捧げて「バーキン」と名付けました。二本のしっかりしたハンドル、フラップ、大きな内ポケット…これらは働くお母さんであったジェーン・バーキンが、必要なものを全て詰め込むことができる、機能性と洗練されたデザインを兼ね備えたバッグでした。

そうして「バーキン」が発表されると、世の女性から絶妙な支持を得て、瞬く間にエルメスのヒット商品となりました。バーキンのベースになったのは「オータクロア」と呼ばれる、エルメスが最初に世に送り出したバッグでした。

まとめ

常に時代の要求を感じて先駆けて形にしてきたエルメスの製品には様々なエピソードがあります。バッグの代名詞といっても過言ではないケリーやバーキンは、その時代の女性にエルメスが寄り添ってた証でもあり、人気の所以でもあるのでしょう。

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