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グッチの人気商品とその歴史についてグッチの人気商品とその歴史について

301_グッチ とは

非常に高い人気を誇るグッチ。今回はその歴史、人気のある商品からちょっと珍しい商品まで新しい物から古い物まで順番に説明させて頂きます。

グッチの創設者とその歴史

1881年3月26日にイタリア、フィレンツェで麦わら帽子の製造を行う会社「ガブリエロ」を経営するガブリエロ・グッチの息子として誕生しました。 1898年17歳になったグッチオは、ロンドンで一旗あげようと決心、蒸気船の機関助手をしながらロンドンに渡りました。

ロンドンでは、最高級ホテル、サヴォイ・ホテルにて、皿洗いの職を得ました。 その後、1階のウェイターに出世し、そこでの仕事を通して貴族たちの立ち振る舞いや持ち物を観察しモノに対する考え方や美への感性を培い、ブランドビジネスに大いに役立てたと言われています。 1919年にフィレンツェに戻り、高級レザーグッズ店「フランツィ」でレザーの扱い方を学びこの経験を活かし、1921年イタリアのフィレンツェにグッチオ・グッチが開いた「グッチオ・グッチ鞄店」から始まります。グッチオは、開業から二年後には二店舗目を開業させるなど順調に事業を展開させていきました。グッチというと“G”が2つ並んでいるデザインが有名ですが、あのマークのことを“ダブルGG”と言い1933年に生まれ、1935年にはひし形のデザインである“Diamante”が生まれ現代でもよく見るデザインの2パターンが誕生しました。 1953年、グッチオ・グッチは72年の生涯に幕を閉じました。

グッチの人気商品バンブーの誕生

グッチのバンブーバッグの歴史はとても古く、第二次世界大戦後の1947年に登場したのが始まりです。 先ほど1921年に「グッチオ・グッチ鞄店」を開店したとお話しいたしました。 オープンから数年でグッチの乗馬をモチーフにした、ハンドバッグ、シューズ、ベルトなどの商品を求めて、世界各地からお客さんが訪れるようになりました。 「最上の伝統を最上の品質で、しかも過去のよいものを現代に反映させる商品作り」というコンセプトの元、品質が高く、デザインの良い商品が好評となり、一気に高級ブランドとしての地位を確立しました。 順調にお店を運営していた「グッチオ・グッチ鞄店」ですが、先の大戦の影響を思わぬ事で受けてしまいます。大戦中は革製品が統制品となり、牛革の入手が困難になりました。 そんな中、目を付けたのが日本から輸入した竹であり、第一号はシンプルなハンドバッグに持ち手には竹が使用されていました。 バンブーコレクションは今でもグッチを代表するコレクションのひとつになっているのです。 またそれだけではなく、バッグ本体にも革製品が使えないので革の調達に苦しんだ、グッチが代替えの材料として考えたのが、キャンバス地にコーティングを施した素材でした。 一般的には高級とはされにくい素材ですが、高級に仕上げることに成功し、思わぬ人気を呼びました。 戦争となると、大きな逆境ですがグッチオ・グッチ氏はバンブーの開発やキャンバス地の開発を推し進めました。 その結果、ヨーロッパを中心に爆発的にヒットし、グッチの名前が世界的に知られる事となりました。

オールドグッチとは何か?

一言でオールドグッチとは何かを説明するならば、1980年代(1985年を基準とすることが多いが1993年が目安となる場合もある)の物までです。 他のブランドではオールド○○という表現はあまり聞いたことがありません。何故グッチだけがそのように分けられているのか? ご存知の方もいらっしゃるとは思いますが、ちょっと血生臭いお話にもなってしまうのでその点を踏まえて以下の文を読んでいただけると良いかと思います。 さて、勿体ぶってしまいましたが説明していきましょう。 創設者グッチオ・グッチには5人の息子がいましたが、主に経営参加していたのは三男のアルドと五男のルドルフォです。 そしてグッチオ・グッチはこの三男と五男にGUCCIの株を50%ずつ渡します。

そして創始者グッチオ・グッチの孫の世代に「お家騒動」が起こります。 三男の子供「パオロ」、五男の子供「マウリツィオ」、そしてマウリツィオの妻である「パトリツィア」です。 孫の世代になり、アルドの息子のパオロが3代目の社長に就任した時に、中流階級まで顧客層を伸ばした商品のブランド展開を独断で始めた為に、これまで父の築いた高級路線グッチが持っていたハイブランドな企業イメージは壊され傷がついてしまいグッチの売り上げも低下しました。 これが父アルドの逆鱗に触れ、パオロはグッチから追放されてしまいます。 その後、このグッチを追放されたパオロですが、従兄弟にあたるグッチ株を50%所有するマウリツィオとタッグを組み、父親のアルドを社長の座から引き摺り下ろすというクーデターを起こしました。

株主総会が開かれ1984年に2代目のアルドは社長を辞任し、そして3代目の社長に就任したのが、マウリツィオです。 アルドは簡単に社長の座を奪い取られた事に黙っているわけもなく、翌年裁判を起こします。マウリツィオは社長職を一旦離れるが、翌年パオロは父親の脱税を告発し有罪判決。80歳過ぎの老いた父親を獄中に送った。 このパオロとマウリツィオを共謀させ、2代目社長を辞任に追い込み、自分の夫であるマウリツィオを3代目社長に就かせる計画を企てたのが、「パトリツィア・レッジャーニ」です。 パトリツィア・レッジャーニとマウリツィオ・グッチの13年間の結婚生活の中で、2人の娘を授かった。 しかし、夫と経営方針や意見の食い違いで言い争いが絶えず、夫婦関係は破綻。娘たちの為にもよくないと我慢の限界に達したマウリツィオは家を出て彼女と別居する事を選んだ。 子供たちは、母親のパトリツィアが養育をしています。 あくまで別居で、離婚には至っていなかったのですがマウリツィオが離婚をしたいと言い出し状況が一気に変わります。 パトリツィアは離婚による慰謝料として、年間100万ユーロ(当時のレートで約1億3000万円)相当を受け取る事で合意していた。

正式な離婚は1991年に成立。 1992年、パトリツィアは脳腫瘍と診断され、腫瘍の摘出手術に成功した。 その後、マウリツィオ・グッチが再婚すると決定した事が、直接の殺害への動機となります。実際のところ、直接の原因は嫉妬からではなく、1993年9月末、マウリツィオがグッチの持ち株50%をバーレーンの会社に売却するという決定でも関係しているのではないでしょうか。 ヨーロッパでのホテルチェーンの建設など、いくつかのプロジェクトを開始する準備ができていたが、マウリツィオは自分の肩にのしかかる重い負担から解放されたい一心でした。しかし、それを知ったパトリツィアは、夫と同じように贅沢な生活を愛し現実から浮世離れしたライフスタイルを放棄しなければいけなくなると考えてしまいます。 ナポリの占い師で、グッチストアのオーナーでもあったパトリツィアの友人で、姉妹のように仲の良い親密な関係性だったジュゼッピーナ・アウリエンマに相談。 暗殺を一緒に企て準備をしました。犯罪組織のトップであるイヴァーノ・サヴィオーニにパトリツィアは、ナポリの魔術師と呼ばれていたヒットマンを紹介されて雇い、夫の暗殺を依頼し、それは遂行されます。 その後、彼女は捕まり懲役26年の刑に服します。刑務所での彼女の暮らしも非常に興味深いのですが話がそれていますので興味のある方は調べてみてください。 説明が長くなりましたが、お家騒動の前後で経営陣が変わっており以前の物は今でも非常に好まれておりますのでオールドグッチとして区分けしています。

グッチの人気のラインとその他の商品

●GGキャンバス

グッチは、1935年の禁輸措置の時に、資源不足を回避するために革以外の素材で作られたバッグを考案していました。 その時に初めてダイヤモンドパターンのキャンバス地が用いられ、これがグッチ初のシグニチャーとなるディアマンテです。 その後1960年代に入り、創業者グッチオ・グッチの息子で実質的なグッチの2代目となるアルド・グッチの提案により、グッチオ・グッチのイニシャル「G.G」を入れた商品を発表しました。 アルドは、バッグにマークをつけることで、グッチというブランドの浸透を狙い、かつ商品を美しく見せつつ、高い宣伝効果も期待できるという実に合理的な理由からでした。

●シェリーライン(ウェブライン)

ウェブラインというのは、グッチでよく見かけるグリーン・レッド・グリーンという3本のストライプのこと。 もともとは馬の背中にサドル固定するためのキャンバス地の帯ひもが基になっており、レッドとグレーンだけではなく、ブルーやブラウンなども使われておりその総称としてシェリーラインとも呼ばれます。この特徴的なストライプは1950年代に発表されると瞬く間に人気に火が付き、馬具としてデザインからラグジュアリ-を象徴するようなデザインへと飛躍しました。 ジャッキーバッグの中央の装飾としても活用されています。ウィークエンドトートのストラップやクラシックなグッチのローファーのホースビットをつけるベースとしても使われています。

●バンブー

竹の持ち手が特徴の「バンブー」の歴史は古く、第二次世界大戦後に経済制裁を受け革が不足し、持ち手に竹を代用したことから生まれたシリーズです。グッチの定番デザインとして長らく愛され、2013年には新たにバンブーショッパーシリーズも誕生しました。

ソーホー

グッチのソーホーは2012年にクリエイティブ・ディレクターのフリーダ・ジャンニーニのクルーズコレクションで発表され、その後2013年春夏コレクションで発売した、比較的新しいラインのバッグです。 バッグの全面にグッチのシグネチャーのインターロッキンGがエンボス加工されていること。高級感あふれるソフトカーフレザーに、ぽってりとしたラバーパッドとステッチで凹凸を出したダブルGをバッグにデザインしています。 付属品としてタッセルというフリンジチャームがついていることも特徴です。

GGスプリーム

GGキャンバスにポリウレタン加工を施し耐久性を増したライン。 かつてはGGプラスと呼ばれ、PVC(ポリ塩化ビニル加工)でしたが、PVCがダイオキシンの発生など環境への悪影響をおよぼすことが分かり、社会問題となってからはポリウレタンでの作成に変更されています。 ポリウレタン加工を施すことで耐水性や汚れに強くなり、デリケートなキャンバス地を長く使い続けることが出来るのです。こうした耐久性の向上というのが、GGスプリームが数多くのデザインに使われる理由となっています。

●グッチシマ

グッチシマというのは、比較的新しい素材でトム・フォードの後任として2015年までグッチのデザインを支えたフリーダ・ジャンニーニが2005年の就任直後に発表したものです。 フリーダは、フローラ・コレクションやニューバンブー、ニュージャッキーなどグッチのアイコンをフリーダ流の新しいテイストでリニューアルしたのと同時にグッチシマという新しいコレクションもスタートさせたことになります。 コレクションとして正式には「ラ・ペッレ・グッチッシマ」となり、いわゆる製品の名前というわけではなく、グッチシマレザーのことを指しています。イタリア語では「最高級」を意味する単語であり、最高級のレザーを使用したラインがグッチシマコレクションです。

●グッチの時計

グッチの時計と言えばカタカナでグッチと大きく入ったグリップが一時期話題となりましたが、それ以外にも人気のモデルがたくさん出ています。 多くの方は時計メーカーでないグッチの時計について電池式の物が多いとお考えではないでしょうか。実際にチェンジベゼルや1500L、2000Lなどの電池式が中心となっており昨日よりもデザイン性重視とお考えになると思います。 しかし、機械式スケルトンタイプの700SQなど今までと一線を画した商品も発売されており元より高い評価を受けているデザイン性と合わせ非常に楽しみなブランドと言えます。

●グッチとドラえもんのコラボ

ご存知の方も多いと思いますが、ドラえもんとのコラボ商品も発売されております。またそのすぐ後には「ばなにゃ」とのコラボでスニーカーやTシャツも初内しております。 高級ブランドらしからぬというと失礼ですが、こういった頭の柔らかさもグッチというブランドの魅力ではないでしょうか。

まとめ

グッチに関する歴史から最近の商品についていろいろと綴って参りましたが如何だったでしょうか。 お家騒動の話などは人によっては忌諱されるかもしれません。 それでも今日まで多くの人に愛されているのは、創業当初からのしっかりとしたモノづくりの理念と美しいデザイン性が多くの人に認められているからだと思います。 単に高級だから、流行っているからでなくこの度の駄文でグッチに興味が出た、好きになったという方がいらっしゃれば幸いです。

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