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プラダの歴史と種類

294_プラダ 服 タグ

プラダ(PRADA)のブランドイメージというと、ナイロン地のアイテムやカジュアルなコレクションをイメージされる方も多いのではないでしょうか?
しかし、その歴史を知ることにより印象はガラッと変わるのではないかと思います。そんなプラダ(PRADA)の歴史を紹介します。

プラダのスタートから低迷期

日本ではナイロンバッグが有名なプラダ(PRADA)ですが、その始まりは、大正時代初期の1913年にイタリアのミラノにて、皮革製品の専門店としてスタートします。
創業者はマリオ・プラダとマルティーノ・プラダの兄弟。店名は「フラテッリ・プラダ(Fratelli Prada )」、イタリア語で「プラダ兄弟」や「プラダブラザーズ」のような意味です。二人は当時、世界中から集めたワニ革や蛇革などの珍しい素材や、上質な革材を用いて、高品質で上品な革製品を世の中に次々と送り出しました。
その製品は、たちまちイタリアの上流階級から評判となり、創業数年でイタリア王室御用達となりました。

その後もプラダ兄弟は、精力的に活動していましたが、時代が第一次世界大戦から第二次世界大戦に入ると、高品質な革材を手に入れることが難しくなり、また高級革製品の需要も減りました。次第に経営状態も悪化し、弟のマルティーノも兄のもとを離れ、マリオ一人での経営が続き終戦を迎えます。第二次世界大戦後のイタリアは、共和制を採択して王政廃止が決定されたため、プラダ(PRADA)の王室御用達の称号もなくなりました。
そんな失意の中、1958年に創業者であるマリオ・プラダが他界し、マリオの娘たちに事業が継承されましたが、上流階級を対象とした、高級革製品の老舗としての知名度を誇ったプラダ(PRADA)も、人々の価値観や生活スタイルなどの時代の変化に取り残され、次第にブランドとしての低迷期に突入します。

3代目ミウッチャ・プラダの登場

低迷していたブランドは、その後創業者マリオの娘ルイーザ・プラダの子供であるミウッチャ・プラダが、1978年にオーナー兼デザイナーに就任したことにより復活を果たします。マリオにとっては孫娘になるミウッチャは、現在のプラダ(PRADA)のブランドイメージを確立させた立役者です。
彼女のデザインは、「日常を贅沢に飾る」をコンセプトとし、斬新なデザインと革新的な素材を使い、プラダの歴史と伝統の調和を体現したデザインで一躍人気を博します。
特に有名なのが、祖父マリオが旅行用鞄に利用していた工業用の防水ナイロン素材「ポコノ」を用いてデザインされたナイロンバッグです。当時、高級革製品が有名であったプラダ(PRADA)のイメージを一新させました。
革よりも軽くて丈夫で撥水性に優れた「ポコノ」素材に、プラダのロゴが入った三角プレートを付けただけのシンプルなデザインのバッグやリュックサックは、たちまちヒットし、プラダの象徴として世界的なブランドへと復活を遂げます。

また、後に夫となるパトリッツィオ・ベルテッリとの出会いにより、経営戦略面でのビジネスパートナーを得て、新たなプラダのビジネス展開は目覚ましく発展していきます。

 

まとめ

イタリアで生まれた100年以上も歴史を持つラグジュアリーブランドのプラダについてご紹介させて頂きました。
この記事のおさらいをすると、プラダがそもそもどういうブランドか100年以上前にイタリアで、プラダ兄弟によって創業された創業者のプラダ一族により現在もデザイン、経営されている創業者の孫娘のミウッチャ・プラダがブランドを変革し大きくしたキーマンミウチャプラダが生み出した代表シリーズは高級ブランドでは異色のナイロン素材「ポコノ」近年特にメンズの若者に人気が上昇している2つの理由はトレンドを牽引するアパレルアイテムの展開 影響力の高いファッションアイコンや海外セレブが多数着用している近年人気を集めている3つのアパレルはバケットハットオーブンカラーシャツ代名詞「ポコノ」使用のアパレルですよ。

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