フランソワ・ポール・ジュルヌ氏の経歴
14歳でマルセイユの時計学校に入学し、パリの時計学校に進んだ後、叔父の工房で18世紀の複雑な時計を修復、研鑚を行い経験を積みます。20歳で単身「トゥールビヨン」懐中時計の製造に挑み、5年を費やして同作を完成させました。その後、ヨーロッパの一流時計宝飾ブランドの開発を依頼されるようになり、1999年自身の名を冠したブランド、F.P.ジュルヌを発表します。ジュネーブでマニファクチュール(完全自社一貫製造)のF.P.ジュルヌを経営、同社の時計の文字盤には「Invenit et Fecit」(“発明し製作した”という意味)とラテン語で刻まれています。世界の主要都市に店舗を持ち、東京・南青山にあるF.P.ジュルヌ東京ブティックは同社直営店の第1号店、2011年の東日本大震災後、複雑時計「サンティグラフ・スポーツ」の第1作目を香港のオークションに出品し、落札額約3000万円を被災地に寄付しました。
天才時計技師と言われる理由
F.P.ジュルヌ氏のブランドとしての最初の腕時計は、一般的な3針時計ではなく、トゥールビヨンでした。この時計が正式に発表されたのは1999年のことで、そのわずか1年後にはジュルヌ氏はソヌリ・スヴレンヌの製作に着手することになります。この時計はそのわずか6年後の2006年に発表されましたが、F.P.ジュルヌの作品の開発は、ジュネーブ郊外の大規模なチームで行われているのではなく、フランソワ-ポール・ジュルヌ氏という一人の男によって開発されていることを忘れてはいけません。
また、彼がソヌリ・スヴレンヌの開発に着手してから発表されるまでの間には、他にもいくつかの新作を発表しており、この作品だけを開発していたわけではないのです。F.P.ジュルヌのソヌリ・スヴレンヌを特別なものにしているのは、この時計が技術的な面で卓越しているだけでなく、10もの特許を取得しているからです。また、ジュネーブのダウンタウンにある工場で完全自社製造された最初の時計であり、現在ではすべての時計がこの工場で製造されていることは、ジュルヌ愛好家の視点から見ても重要なものになっています。これらのことだけでも彼がなぜ天才時計技師と言われているのかお分かりいただけるかと思います。
製品へのこだわり
FPジュルヌはその独創的な腕時計に対する思想と、ジュルヌの画期的なムーブメント設計の素晴らしさから現在腕時計ブランドで一番評価の上がっているブランドです。このFPジュルヌの腕時計にはジュルヌ自身の3つのこだわりが生きていおり、そのこだわりを解説します。
●ムーブメント
独創的な素晴らしいムーブメントを開発してきたことから、複雑なメカニズムが注目されがちなPFジュルヌですが、ムーブメントの美しさにも拘りを持っています。その象徴となっているのが18Kムーブメントの存在で、マニュファクチュールにこだわった18K製のムーブメントは美しさと高精度を両立させた素晴らしさを持っています。
●文字盤
FPジュルヌが時計の製作過程で文字盤のデザインに最もこだわっているのはバランスで、普通薄型ケースのドレスウォッチはシンプルなデザインが多いですが、ジュルヌが文字盤に求めるのは独創性です。美しさを最大限に生かしながら視認性、精度や強度も兼ね備えた腕時計造りを実現しています。
●ケース
FPジュルヌが持つ腕時計ケースの基本理念は、薄いケースこそが最高のエレガントということで、薄さを徹底して追求し超薄型のケースを実現させました。そしてその薄さを持ったケースに超高精度なムーブメントを見事に収納し、芸術的ともいえる腕時計を送り出しています。
最後に
FPジュルヌは1999年の創業当時から実に堅実に理想の時計像を追い求め、美しさと複雑なメカニズムの融合を果たした、稀有な腕時計職人です。そんな彼の生み出す天才的な腕時計は、世界最高峰といえる機械設計の技術や革新的な構造の探求より作り出され、アイディアと芸術的な美しさと共に愛用者の手に渡ります。その腕時計には一度手に取ると忘れられない魅力に溢れており、きっと一生のコレクションの一つとして手元に置きたくなることでしょう。